George Harrison / R&R Hall of Fame Speech (2004)

2004年3月15日に行なわれた「ロックの殿堂」授賞式で、TPは Jeff Lynne と一緒に、George Harrison 殿堂入りのプレゼンター役を務めました。敬愛する George への愛情溢れるスピーチ(日本語訳)をご紹介します。

Tom Petty and Jeff Lynne Induct George Harrison into The Rock And Roll Hall Of Fame in 2004

何年か前(1992年)、George に「Billboard Lifetime Achievement Award」で、プレゼンターとして話すよう頼まれたことがありました。そのスピーチで彼は「ビートルズにいたことは、自分のソロ活動に対する妨げにはなってない」と語りました。(観客笑) 彼は、まずビートルズのメンバーとして、この素晴らしい殿堂に入りましたが、今夜はソロ・アーティストとして、2つ目の殿堂入りを果たすことになります。(歓声)

創造的な作曲家として、ステージ上でもオフでも、レノンとマッカートニーの横に立つことは、本当に大変だったはずです。しかし、そこで技法を学んだ彼は、素晴らしい作曲家となり、 ”Something”、”Here Comes The Sun”、そのほか多数の古典を生み出しました。彼はあまりにも多作になったため、多くの未発表曲をためるようになり、これが彼の最初のアルバム、『All Things Must Pass』(1970年発表)の元となりました。(歓声) これは、元ビートルズによる最初のナンバー・ワンでした。(笑) (歓声) さらに多くのヒット作が続きました。

「ソロ活動を希望していたわけでは全くない」と、彼はよく言ってました。彼にはマネージャーもエージェントもいませんでした。彼はただ、友達と音楽を演奏するのを楽しんでいました。彼はギターを、ロックン・ロールを、Carl Perkins を、Little Richard を、そして Dhani(息子)と Olivia(夫人)を愛していました。(歓声) そして彼は夜遅くまで起きて、明け方までウクレレを弾くのを楽しんでいました。子供たちがベッドに連れられていくまで。

80年代には、『Cloud Nine』(1987年発表)で、再び第一位となりました。そして、彼いわく「もう一つのバンド」の Traveling Wilburys を結成しました。(歓声) 私は、Jeff Lynne (右の Jeff を指差す)や他何人かと一緒でした。(観客笑)

George は、人生のすべての瞬間を生き抜いた人だと思います。彼は(楽しみで) 部屋を一杯にし、陽気で、とても鋭いユーモアのセンス、鋭い魂を持っていました。彼は説教は一切せず、実例を示して人々を従えました。George は、Live Aid(1985年)の何年も前、ロックン・ロールで人々に還元することを発明しました (*)。(歓声)

*)George が主催したバングラデシュ難民救済コンサート(1971年)を指している。

こうやって(観客席を)見回すと、多くの人が George のことを(個人的に)知っていましたが、彼は、私の親愛なる友達でした。あなたにとっても、世界にとってもそうでしょう。彼は、成功したアーティスト以上の所に到達したのです。彼はとにかく最高の人でした。(歓声)

ですから、我々は、彼を殿堂に入れます。彼を呼び寄せ、そこに押し込みたいと思います。(観客笑) そこで、皆さんに言ってほしいのです。


Hari Krishna (観客一同 : Hari Krishna!)

彼は入ったよ![He’s in!]

翻訳 : Shiegyan / Depot Street vol.65(May, 2004)掲載

このとき演奏された”While My Guitar Gently Weeps”での Prince との共演のエピソードもあわせてどうぞ。