Official Website Interview by Paul Zollo (2004/3)

オフィシャルサイトに掲載された TP の独占インタビュー。Tom は、3月31日に Malibu にある自宅で Paul Zollo(journalist/ songwriter、「Conversations with Tom Petty」著者)氏によるインタビューを受けました。全31ページの非常に読み応えのある内容です。

Tom Petty Official Website Interview

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あなたは、Heartbreakersを Byrdsと Rolling Stonesの掛け合せにしたかった、と言ってましたよね。「それ以上に最高な組み合わせってないだろう?」って。

そうだよ(笑)。僕達は、グループとしてそうなりたいと願っていたんだ。Rolling Stones と Byrds を組み合わせた感性を持ちたかったんだ。R&Bやロックンロールとか、美しいハーモニーが入った曲のセンスとか。他の影響も色々あるけど、単純に言えばそういうことさ。僕達は、そういう音楽を組合せたかったんだ。

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当時、The Beatlesからも大きな影響を受けましたか。

当然だよ。(Roger) McGuinnは、映画「A Hard Day’s Night」のGeorge (Harrison)の演奏を見て、リッケンバッカー12弦ギターのアイデアを得たんだ。Beatles からの影響は大きいよ。とにかく、多大さ。それは全ての人に対してだと思うよ。今でも Beatles は大好きで、よく聴くよ。アルバムを入れ替えてね(笑)。Beatles は大好きだよ。それを言う人はあまりいないけど、僕達みたいに60年代出身だったら、Stones と Beatlesという、2大バンドがあったんだ。それ以外の音楽は別の話だ。僕達が他に好きだったのは、Beach Boys だ。

そうだったんですか。

そうだよ、僕達は Beach Boys を尊敬してたよ。Mike (Campbell)と僕は、Chuck Berry、Elvis (Presley)、Little Richard など、50年代のロックンロールも大好きだったんだ。僕達が出会った当時、お互いにそういう音楽は一通り知ってたよ。でも、実際に演奏してる人は少なかったのさ。ちょっと不思議かもしれないけど、1970年当時だと、Chuck Berry あたりの音楽を演奏している人は、あまりいなかったんだ。

当時からしても、すでに古っぽかったんでしょうかね。

そうだね、プードル・スカート (*1) とかジューク・ボックスとか(音楽以外の要素)を使って、Sha Na Na (*2) がそれをウソくさくしたんだよね。彼らはそこ(音楽以外の面)に集中してたけど、僕達は(50年代の)音楽そのものが大好きだったから、僕達がやってたことに影響を与えてたと思う。今でもね。

Heartbreakers を結成した当時から、(バンド名は) Tom Petty & the Heartbreakers でしたか?

そうだったと思う。Mudcrutch… Mike と Benmont と僕が、その前にやってたバンドだけど、それは全然ダメだったんだ。レコードを作って、シングルを出して、解散しちゃったのさ。それで、「もし次に新しいグループを作るんだったら、そのときには(バンド名に)自分の名前を入れてやる、そうすれば何かが残る」と思ったよ(笑)。分かるかな?うまくいかなったことについて、色々と言いたかったんだ。そのバンドでは、僕は黙って突っ立って、自己崩壊していくのを見てるしかなかった。だから、僕はとにかくリーダーになりたかったんだ。

*1) 犬のプードルのアップリケがついているフレアー・スカート。1950年代に流行。
*2) 50年代ファッションをセールスポイントとして、60年代後半にデビューしたボーカル・グループ。1969年のウッドストックでのステージが有名。


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(曲の)デモを作るとき、ドラム・マシンは使います?

いや、殆ど使わないね。僕は少しだけドラムが叩けるんだ。クリック音(*1)を鳴らしておいて、 ドラムの一部分を少しずつ重ねていく場合もあるし、バス・ドラムをサンプルして、それのループをつくったりするんだ(*2)。あまり速くない曲だったら、僕にだって全部叩くことが出来る場合もあるんだ(笑)。僕は Steve Ferrone(のように速く叩けるわけ)じゃないからね。

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彼のドラムは本当に良いですよね。

彼は本当にスゴいよ。とにかく素晴らしいミュージシャンだ。彼は何でも一発で録音することが出来るんだ。とにかく素晴らしいよ。

あなたの音楽に対する、彼のフィーリングも最高ですよね。

彼は、最高のフィーリング以外のものは演奏しないよ。彼のことを即座に気に入ったのはそこなんだ。どんなとき、どんなテイクでも良い感じなんだ。ミスをしたり、アレンジを変えたがったり、色々と言う人もときにはいるけど、(彼の場合は)彼のフィーリングを貫いてるから、録音するのはあっという間なんだ。

あと、彼は賢いんだよね。彼は楽譜を読み書きできるんだ。それは僕には出来ないことなんだ。セッションの途中で、彼が音譜を書き込んでるのを目にするよ。ときには、フロア・タムの上で(書き込んでるん)だよ。それで、彼はアレンジを理解するのが本当に早いんだ。とにかく、彼は最高だよ。先日、彼を呼び出して一緒に演奏したところだよ。彼のことはいつも尊敬している。彼とは一緒にニューヨークへ行ったんだ(*3)。

面白いことに、Steve Ferrone と知り合ったのは George (Harrison)を通じてなんだ。Steveは Eric Clapton のバンドにいたんだ。George は、Clapton と彼のバンドとともに日本ツアーをした後、ロンドンで1回ショウを行ったんだ。でも、Eric はそのとき参加することが出来なかったから、George は Mike Campbell にリード・ギターを弾くよう依頼して、(ロンドンの Royal)Albert Hall で演奏したんだ。Mike は戻ってきて、「聞いてくれよ。Steve Ferrone というドラマー、彼はすごく良いドラマーだよ」って言ったんだよ(笑)。ちょうど、僕らがドラマーを探しているときだった。

Stan(Lynch)はもう脱退していたのですか?

そうだ、Stan はもういなかった。丁度、TVショウの収録(*4)があって、そのときは Nirvana の Dave Grohl に出てもらったんだ。Dave はもう少しでバンドに加入するところだったんだよ。Kurt Cobain (*5) が亡くなったばかりで、Daveにバンドに加入してもらうよう、深く話し合ったんだ。でも、Dave は自身の音楽キャリアが始まっていたんだ。丁度、Foo Fighters のアルバム(*6)を作ったところだったからね。だから、加入話は明らかにうまくいかなかった(*7)。そんなとき、Steve が最高のタイミングで登場したんだよ。

*1) ドラマーがリズムを保つためにレコーディングで使うメトロノーム音。
*2) 録音されたフレーズを繰り返し再生する機能。
*3) 2004年のロックの殿堂授賞式のこと。
*4) NBC系列TV番組『Saturday Night Live』(1994年11月放送)
*5) Nirvanaのヴォーカリスト&ギタリスト(1967-1994)。彼の自殺によりNirvanaは解散を余儀なくされた。
*6) デビュー・アルバム『Foo Fighters』 (BVCP-21332: 1995年)
*7) 【Depot Street】のバックナンバー(2000年3月号)では、Daveの発言を掲載しています。
「あれは本当に本当に難しい選択だった。世界中で僕が誰かのために何かをしなくちゃならないとしたら、その相手は彼だ。いつか僕にやることがなくなったり、フー・ファイターズが活動停止したら、僕はさっそく彼に電話するだろう。」


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(作曲の段階で)ハーモニー(ボーカル)をどうするか、いつも決めて いるんですか。

必ずしもそうではないね。単に行き当たりばったりなんだ。[中略]

あなたの声と Howie のハーモニーは、素晴らしいサウンドでしたね。

彼は、最高の、とにかく最高のシンガーだったよ。とても素晴らしいハーモニーのシンガーだ。彼がいなくて寂しいよ。悲しい話さ。[沈黙] あまりにも悲劇なんだ。クスリの問題を抱えている人というのは、和らげなくてはいけない痛みを持った人々だと、いつも思ってるんだ。Howie の痛みがどこから来ているのか、僕には完全には分からなかった。でも、彼が多くの痛みを抱えていたことは明らかなんだ。

Howie はまさに一匹狼だったんだ。彼の人生はいつも孤独だった。彼は社交的で優しかったし、あんなにいい奴には会ったことがないくらいだよ。でも、彼の人生…社会人生は別問題だった。彼は家族も多くなかったんだ。彼の両親は亡くなっていて、兄弟の一人とは時々会う程度、もう一人とは全く会ってなかったんだ。我々(TP&HB)が、彼の家族だったと思うよ。

Heartbreakers は、我々みんなにとって一つのファミリーだと思うんだ。だって、子供の頃から、TP&HB が家族みたいなものだったからね。それに、僕たちは誰もがグループ外で家族(関係)が豊富だったとは思わないし。

僕らはいつも自分達に問いかけていた。彼のために十分にしてあげたのか?彼を助けたのか?と。多分、したと思う。彼をそれ(薬物)から引き離すために、僕たちはものすごく力を尽くしたんだ。あのクスリはとても強くて、そして非常に邪悪なクスリなんだ。だって、彼を殺すまでに何年もかかっているからね。最後の年には、それが彼を殺すだろうということが何となく分かっていた感じだった。クスリが彼を殺すかどうかは、彼を見れば十分分かることさ。僕らは心の準備は出来ていたんだ。

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そうなんですか?

そうだよ。彼が死んでしまうだろう、ということは分かっていたんだ。僕らは、彼をグループから追い出したんだ。彼を(クスリへの依存から)目覚めさせるためには、それが最後の手段だったんだ。それは、僕らが彼の問題に手を貸しているような気になったからだ。僕らがしてたのは、彼にそういう人生を送るためのお金を与えていたのに他ならない。だから、彼がバンドを失えば、ようやく現実に目覚めるんじゃないかと思ったんだ。僕らは、彼をリハビリ施設にも入れたんだ。でも、彼はそれに馴染まなかった。大体、ヘロインは人を嘘つきにさせるんだよ。

だから、僕としては、もう希望がないように思えたんだ。でも、彼がいなくて寂しいよ。彼が大好きだったし、僕以外の人もみんなそうだ。彼は最高のミュージシャンだったよ。

彼の人生にそんな痛みあったとは、なかなか信じられないです。だって、彼は世界中で最も偉大なロックンロール・バンドの一員だったんですよ。

ああ。我々がしなきゃいけないこと、つまり、我々は「人生は最高だ、僕たちは運がいいぞ、上手くいってるよ」って言わなきゃいけないね。日々のことにとらわれると、必ずしもそう思えなくなるんだ。だから、そのことを思い出させてくれる誰かが必要なんだよ。僕の場合は、Dana(TP夫人)が僕の肩をたたいて、こう言ってくれるよ。「この問題はそんなに大したことではないわ。周りを見てよ。あらゆるものが最高じゃない」とね。

僕が思うに、彼にはそうやって気遣ってくれる人がいなかったんじゃないかな。そうしてあげたと言う人もいるとは思うけど、しかし実際は違うと思うんだ。いや、僕が間違ってるかもしれないね。でも、それが必要なんだ。人間には誰かが必要なんだよ。

これまでのところ、あらゆる意味で、僕達の人生はあまりにも普通じゃなかった。でも、僕らは所詮人間なんだよ。成功というものは、決して人生を簡単にはしてくれない。成功というのは、それがもたらした全てのことを含むんだ。しかし、自分がこの星に他人と住んで(笑)、幸せになりたい人間だという事実を簡単にするわけではないんだ。(成功は)そんなことをしてくれないんだ。それは、自分でするしかないんだ。

“Crawling Back To You”の歌詞を思い出しますよ。「心配している殆どのことは、実際には起きないのに(”Most things that I worry about  never happen anyway”)」というくだりです。

(笑)そうだね、その歌詞は気に入ってるよ。心配というのは、まだ起きていないことに対して考えることなんだ。確か、偉い人がそんなことを言ってたよ(笑)。Deepak Chopra (*1) だったと思う。僕は、いつも起きてないことを考えてるんだ。

そうなんですか。

そうだよ。人間として自然なことさ。誰でも心配ごとがあるのさ。

*1) 人生論の執筆で有名なアメリカ人作家。


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あなたのように、成功を収めたロック・スターには心配なんかないだろう、永遠の楽園だ、と思う人もいますよね。

(笑)その通りだよ。ロックン・ロール・スターというのは、ステージを駆け回って、熱狂する沢山の観客達がいて、オフの時間にはパーティすることの繰り返しだと思ってる人がいる。でも、それは事実ではないよ。僕達が行うことには多くのことが関わっているんだ。そして、僕達はそれに対してとても頑張ってる。フルタイムの仕事以上だよ。

そうですか。

そうだよ。僕は、人生のこんな頃になって、ようやくちょっと休みを取ってるだけさ(笑)。全く何にもしなくていい状態でどうやって人生を過ごしたらいいのか、学ぶ必要があるんだよ。(そういう状態では)「何をしたらいいんだ?」って我を忘れちゃうからさ。Dana(妻)は、「ただリラックスするだけでいいのよ」と言うんだけど、こちらは「4時だからサウンド・チェックに行かなくちゃ」というのに慣れてるからね(笑)。

あなたのスケジュールは、作曲、レコーディング、ツアー、プロモーションを繰り返すというものですよね。しかも、それが長年続いているわけです。

長年にわたって、Heartbreakers は、大きなビジネスになっていてるんだ。常に目を光らせておく必要がある大きなビジネスだ。それには、出版、販売、その他、何でも関わってくるんだ。放っておけば、食い尽くされちゃうよ。だから、僕は多くのことに関与しなきゃいけないんだ。

あなたは、そういうこと全てに関わってるのですか。

そうだよ、当然だよ。

そういうことに対しては、あなたの代わりにマネージャーや営業責任者が働いてくれるのかと思ってました。そうすれば、あなたが創造的になって音楽のことに専念できるわけですから。

もしそうだとしたら、そのうち一文無しになっちゃうよ(笑)。僕は昔も今も、自分達のマネージメント、そしてバンドがどうあるべきかに、深く関わってきたよ。それは全ての面においてだ。

確かに僕には、Tony(Dimitriades)と Mary(Klauzer)という長年のマネージャーがいて、彼らのおかげで(ビジネスから)距離を置いて創造的になることが出来るのさ。しかし同時に、(ビジネスに)自分で踏み込んで何が起きてるか見極めて、「こういう風にしてほしいんだ」と常に声を上げる必要があるんだ。彼らは僕のことを「支配魔 <control freak>」って呼んでるよ。

そうなんですか。

「君は全てを完全にコントロールしたがる」って、Tony は言うよ。でも、それは支配魔になるということとは違うんだ。僕達のことを、僕が思っているように表現して欲しい、ということなんだ。もし、僕らがケンタッキー・フライド・チキンだったら、僕はバケツにいるサンダースおじさんのような(象徴的)存在なのさ。

僕の名前が使われるんだったら、僕が希望したとおりになっているのを見たいということだ。しかし、いつもそれが出来る訳ではないんだ。(ビジネスが)僕自身より大きいものだからね。でも、目を離さないようにしているよ。僕が今年やろうとしているのは、そういうところさ。Heartbreaker 帝国の運営に追いつくことだ(笑)。


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ウェブサイト… このインタビューのように、みんなに向けて喋る機会が欲しくて、サイトを作りたかったんだ。「僕達はこんなことをやってます、そしてこんなことが起きてます」と言いたくてさ。だって、(ファンと)実際に話せる機会はなかなかないし、おそらく(彼らは)色々と聞きたいことがあるだろうからさ。

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ウェブサイトという発想にはとても惹かれるよ。(僕達が)まだやってないことで、出来ることは、あまりにも沢山あると思うんだ。音楽を発信するには最適な方法だし、通常のファンよりも興味を持ってくれてるコアなファンに対して、より多くのものを提供することが出来るんだ。それはビジネスとしても成立するんだ。自分の店があって、商品があって、レコードがあるからね。実際に、アーティストにとって新規事業になりえると思うんだ。

しかし、それらをまとめて仕上げるには、あまりにも多くの時間が必要なんだ。僕達は、しょっちゅうツアーに出たり、スタジオで時間を費やしている。そんなときに誰かが「サイトはどうなった?」と言ってきても、「サイトに関わる時ではないんだ」と文句を言うだけさ。でも、今年はそれを重点的に行いたいんだ。僕はそこに少し手をかけて、より迅速なものにしたいと思うんだ。

Dana が、誕生日には何が欲しいか聞いてきたんだ。「レコード屋へ行って、いられるだけ長い時間いたい」と返事したよ。だって、レコード屋へ行くと、誰もが僕より先に帰りたがるんだ。だから、「自分の誕生日には、心置きなく欲しいものを買いたい」と言ったのさ。というわけで、行ってきたんだけど、そこに2時間半もいたね。そして、ものすごい数のレコードを買ってきたよ。そのために、店員は箱を用意しなきゃならなかったんだよ。

昔の音楽と今の音楽、両方買ったのですか。

そうだよ。興味を惹かれるものだったら何でも買うよ。それが出来るのは、裕福になることの良い点の一つ、いや、一番良い点だよ(笑)。本当に。だって、それはすごく贅沢なことだからね。

僕はけっこう貧乏に育ったんだ。アルバムを買うために、出来ることなら何でもやったよ。ゴミ箱から瓶を回収して、それでお金を稼いだり。でも、今なら何でも買うことが出来る。それは良いことだ、だってそうやって(音楽)産業にお金を還元している訳だし、何よりすごく楽しいことだよ。だから、喜んでそうするさ。

昔からずっと思ってたんだけど、タダでもらうレコードって、買うレコードほど良く感じないんだ。だって、それは欲しがってるものじゃないからね(笑)。自分で買ったものだったら、良いレコードであって欲しいと心から願うだろ。そして、座りながら(アルバムを聴いて)熱狂するんだ。ところが、音楽業界では誰かがレコードを送ってくれたり、プレゼントしてくれることがよくあるんだけど、そういう方法でもらうのは好きじゃないんだ。自分で買った方が良いさ。

新しいバンドやアーティストで好きなのはあります?

すごく新しいのではないね。The White Stripes は好きだよ。彼らは良いし、本格的に前進してると思うよ。僕は色んな種類の音楽が好きだから、色々と聴くんだ。

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ジャズは聴きますか?

昔のやつだけだね。新しいジャズは聴かないんだ。昔のアルバムは沢山買うよ…昔のが好きなんだ。自分の心は、そこにあるんだと思う。未だに時代を遡ってるんだ(笑)。聴き逃したものがないか、または、聴きたかったけど機会を逃したのがないか、昔を辿っているんだ。そこには沢山の音楽があるからね。

XMサテライト・チャンネルのラジオ・ショウのシリーズをやってるんだ。「Tom Petty’s Buried Treasures」というタイトルでさ。自分がまとめた1時間の音楽番組なんだ。すでに8回の収録を終えたよ。殆どが昔の音楽さ。そういう音楽を聴いたことがない、特に若い人たちが、そういう音楽に耳を向けてくれれば…。とにかく、それをやるのは楽しいよ。

XMラジオは良い曲をまとめて聴けるから、いいですよね。

最高だよ。音もすごく良いしね。選択肢がより多くなるんだったら、全ての選択肢があるのが良いよね(笑)。この前、砂漠へ旅行して、車の中に4時間程いたんだけど、その間、CDをかけることもなく、(XMラジオで)ずっと楽しんでいたよ。チャンネルを替えて聴いてるだけでさ。とにかく素晴らしいよ。ラジオにも、あんな風にドキドキさせるものが必要だな。すごく興奮するよ。

『The Last DJ』で触れていましたが、レコード会社は昔ほど、アーティストを発掘したり育てたりはしていません。その結果、毎年たくさんの新人たちが登場しても、誰もそう長くは生き残れないですよね。

そうだね、これは我々が今いる文化を反映しているのかもしれないな。注目の期間がごく短い文化にいるんだ。昔と比べると、とても沢山のメディアがあり、音楽に関しても、より専門化されている。ラジオをつけたとしても、(1つの局で)全て(のジャンル)を聴くわけではないんだ。違う音楽のためには、専門化された別の局を聴くのさ。

バンドを育てるためにはお金がかかる。とにかく高いんだ。僕らの場合、レコードを出す1年前から、レコード会社が完全にサポートしてくれたんだ。彼らは僕らの家賃を払い、食べ物を買ってくれた。僕らは、従業員として生活していたんだ。彼らが支えてくれるなか、スタジオを与えてもらい、前進して腕を磨いたんだ。彼らは僕達にこだわってくれた。最初のレコードがヒットしたのは異例なんだけど、それからヒットを続けることが出来た。つまり、そういう状況にいて、(レコード会社に)育ててもらったんだ。

(当時の)レコード会社は、ヒットがないからといってクビを切ることもない、とも知っていたんだ。だって、大ヒット作を飛ばすというのは常ではないからね。アーティストならば、自分にとって意味があっても、必ずしも商業的でない時期があるものなんだ。

今は、成功しないなら用はないという風で、(昔の風潮は)消えつつあると思うんだ。誰かにチャンスを与えて戻ってきてもらうより、新しい別の人を持ってくる方が簡単なのかもしれないな。

でも、そうしてると、最後に痛い目に遭うよ。だって、それではアーティストは聴き手との関係が育てられないからさ。僕らの場合、聴き手は僕らのことを分かっていると常に感じてる。尊敬するアーティストたちに対して、僕も同じ気持ちを抱いていた。僕は彼らのことを分かってると思ったから、(そのアーティストに)付いて行ったんだ。今(のアーティストと聴き手との関係)は、それよりももっと薄っぺらいものかもしれないね。

結果として、レコードではとても成功しても、3,000枚のチケットを売れないアーティストが出てくる。だって、聴き手は彼らのことをそこまで知らないし、信用してないからね。でも、良いことはまだ続いているよ。聴き手もそれで楽しんでいると思うんだ。そのうち、レコード会社がそういう(聴き手との)発展に価値を見出すときが来るかもしれない。でも、それは分からないな。自分だけのことじゃないからね。


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あなたの曲のレパートリーは今となっては膨大ですよね。ヒット曲だけを選んだとしても、1つのショウには多すぎるほどの曲があります。

僕らのショウが終わったあと、アレやコレを演奏しなかったと誰かが怒るんだけど、これは避けられないんだ。だって、(それに応じて)全てを演奏してたら永遠にステージにいることになるからね。さらに、僕達は、自分達の(演奏する)楽しみも保っていたいんだ。だから、僕達は曲をなるべくシャッフルして、同時に毎晩良いショウをしたいと思っている。そして、それにはペースがあるんだ。

みんなは、必ずしもデトロイトからクリーヴランドまで(訳注:300km弱の距離)旅して、次のショウを見に来てくれるわけではないんだ(笑)。実際そうしてくれる50人には、「昨日見たのと同じだ!」という感じかもしれない。でも、多くの人々は前の日のショウを見てないわけだからね。

毎晩、同じ曲を演奏するには、どうやって楽しみを保っているのですか?アレンジを変えるのですか?

うん、演奏はツアーによって少し変えてるよ。幸いなことに、僕達の場合は人気のある曲が沢山あるから、年やツアーによって、それらを入れ替えることもできる。次のツアーでは、全く違うセットの演奏をすることを考えてるよ。確かに人気曲はあるけど、(新鮮さを保つために)演奏しすぎないようにするんだ。(中略)

個人的には、”Two Gunslingers”を演奏してほしいです。

(笑)その曲は時々演奏しているよ。珍しいけどね。一人で演奏したこともあるよ。自分一人でギターを持ってね。楽しかったよ。

さらには、『Into The Great Wide Open』から”All The Wrong Reasons”も。歌詞は良いし、メロディーが美しいです。

あの曲は Benmont が好きなんだ(笑)。最近、演奏したらいいんじゃないかと彼から提案してきたところだ。

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演奏することを考えてますか。

ああ。僕は何でも演奏するよ、本当に。ヒット曲のみのショウをやったら、人々もそれを喜ぶとは思うよ。でも、僕としては、そこに他の曲も加えていくよう努力していきたいんだ。

ヒット曲が全くないショウを望んではいないよ。人々がガッカリすると思うんだ。僕としては、観客を楽しませたいという風に育ってるからね(笑)。それについて、アーティストの冒険心がないと考える人がいるのも知ってるよ。だけど、僕は(観客を楽しませたいと)思ってる。それは意味のあることなんだ(笑)。

でも、気をつけてやらなくてはね。新曲も披露したいと思うし、多少は挑戦もしていきたいし。観客にもチャレンジを与えていくことが必要だと思う。すると、ショウの終盤には、「どこかへ行ってきた」という達成感を(観客が)持つんだ。観客たちは様々な音楽、色々な質感の音楽を聴いたわけさ。そして、一番最後には、大ヒットを聴いてパーティ気分になるとかさ(笑)。

ショウのためのプログラムはとても大切なんだ。そして、ショウのペースも非常に重要だ。これは、アリーナ・レベルでのショウの話だよ。バーで演奏している分には、何を演奏してもいいと思う。でも、アリーナだと、沢山の観客が相手で、ステージと客席はかなりの距離があるわけで、もう、それ自体がアートなんだ。どうやってショウをやるか、どうやってショウを進めていくか、だ。僕達は上手くやってるよ… その点では、最高級だと思うよ。

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あなたの体型はとても良いですね。定期的に運動してるのですか?

そうだよ。今53歳だから、沢山運動しなきゃいけないんだ。週に5~6回は運動してるよ。なぜなら、(音楽には)身体的なことが関わってるからだ。ショウをやるのは身体的な(能力が要求される)ことなんだ。移動だってそうだ(笑)。(音楽にまつわる)全てがそうなんだ。「俺が立ち上がったら10代の若者なんてダウンするよ」ってよく言ってるよ(笑)。

時間がものすごく早く通り過ぎていくことがあるんだ。そういう時には走らなきゃいけないんだ。ツアー中は、ある街で目を覚まして、飛行機で次の街へ移動して、リハーサルとショウをやって、また飛行機に乗って次の街へ行く… そういうことは珍しくないんだ。つまり、寝る頃には、その日の3つ目の街へ行ってるわけだ。他の人にも挑戦してみることを勧めるよ(笑)。本当に、多くが吸い取られるんだ。だから、「あなたの仕事はステージの上で飛び跳ねて演奏するだけでしょう?」って言われると笑っちゃうよ。3ヶ月間に150回、飛行機に乗ってみたらいいよ。

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どういう運動をしてるんですか。

ボクシングが殆どだね。重い(サンド)バッグをたたくのと、ウェイト・リフティングと、他にも色々とやるよ。昔よりは少し熱心にやってるよ。

体型を保つことが作曲にも役立つと思いますか。

全てのことに役立ってると思うね。軽いフットワークと体型を保つことだ。気分を良くするのに役立ってると思うよ。でぶっちょのトム・ペティなんて、誰も見たくないでしょ?(笑)


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ある日、Rick Rubin (*1) が遊びに来て、Johnny Cash (*2) のボックス・セット (*3) をくれたんだ。そこには、Merle Haggard (*4) の”The Running Kind”という曲を、Cash と僕がデュエットで歌ったのが入ってたんだ。すごく良いテイクだったんだけど、(僕には)それをやったという記憶が全くないんだよ。覚えていないんだ。あの時期には色々なことがあったから、それで覚えてないのかもしれないな(笑)。ああいうのを聴くというのは良い驚きだよ。

『Wildflowers』から『Echo』の終わりまでの間、僕たちは膨大なレコーディングをしたんだ。Johnny Cash のような別のプロジェクトも含めてね。Johnny Cash の『Unchained』(*5)、あれは Heartbreakers にとって最高のレコードだと思うんだ。我々の最高の演奏だと思う。あのレコードが大好きなんだ。僕たちが演奏し、そして上手くいったということを誇りに思うよ。今は、ボックス・セットでさらに多くの曲が出てきたんだよね。これまで発表されなかった9曲か10曲が。

ある夜、スタジオに行くと、Carl Perkins (*6) がいたんだ。それで、僕たちは Johnny Cash と Carl Perkins とレコーディングすることになったんだ。あれは最高の時だった。肋骨が痛くなるまで、百万回も笑ったよ。僕たちはこの2人をとにかく尊敬していたから、Johnny がライナー・ノーツで、「あれは人生の中でも最高な日々だった」と書いてくれたのを読んで、最高な気分だった。本当に気分が良かったよ、だってあれは自分にとっても最高だったからね。それに、John(Johnny)がそう思っていたとは知らなかったんだ。

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彼の声はスゴいですよね。

ああ、スゴい人だよ。

その頃、彼は健康でしたか?

かなり健康だったよ。時には具合が悪くなることもあった。とても疲れてしまったりね。だけど、彼は本当にやる気になってたよ。時には1時間ほど休憩して、仮眠を取ることもあった。でも、1時間中断したら戻ってきて(レコーディングを)進めたんだ。彼は熱中していたんだ。もちろん、彼は人生の最期までずっと働き続け、素晴らしい音楽の数々を残していったよ。例えば、さっき話した Rick Rubin が持ってきてくれた、未発表曲入りの5枚組CDだ。聴くと最高だよ。

こういった出来事にはすごく影響されたよ。そして、ボックス・セットを聴いてもすごく影響されたんだ。自分が年を取ってきたという事実で苦しんでいる今(笑)、「自分は何を提供できるだろう?」ということを自問してるのさ。僕がこうやって(音楽を)演り続けるのなら、何かを与えていきたいと思うんだ。Johhny Cash を見て、そういう感じの影響を受けたのかな。彼は長い間生きて、ずっと(音楽に)関わっていたんだ。

*1)  『Wildflowers』~『Echo』、CashとTP&HBとの共作品のプロデューサー。
*2) カントリー音楽に最も多大な影響を与えたであろうアーティスト(1932-2003)。
*3) 『Unearthed』 (2003年 American Recordings B000167902)
*4) 1960年代後半を中心に、ヒット作を連発したカントリー・アーティスト。
*5) 1996年発表、TP&HBが全面的に参加。(American Recordings  586 791)
*6) 1950年代からロカビリー領域で活躍したアーティスト(1932-1998)。晩年作『Go Cat Go』 (1996年)にはTP&HBも参加。


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Heartbreakers は、ステージと事務所が入ったクラブハウスを持ってるんだ。僕達は毎日そこに行き、テーマを決めることもなく演奏し続けていたんだ。毎日、3~4時間、ジャムして演奏してた。これはすべて録音されてるんだけど、エンジニアの一人がそれをミキシングして何枚かのCDにしてくれたのさ。その一部は本当に良いんだ。バンドが演奏しはじめ、僕が即興で演奏して、何が出来るかだ。そのうちの10か12くらいは発表したいんだ。しかし、これは真剣なプロジェクトとしては出したくないんだ。興味がある人だけに出したいね(笑)。そんなことも考えてるよ。

ツアーの合間も、僕達はそこに行って演奏していたよ。去年は Tonight Show に4回出演したけど、そのリハーサルに使ったんだ。そして、「こうなったら、鈍らないために毎日集まって3~4時間演奏しようよ」ということになったのさ。そうやって冒険しているんだ。時には10分間セッションしたあと、みんなで座りながらそれを聴き直すんだ。それは楽しかった。とにかく、いかにこのバンドが良いのか、みんなに聞いて欲しいんだ。(中略)

それに興味を持って楽しんでくれる観客層もいると思う。そんなものをウェブサイトから販売できないかと考えているんだ。

ウェブサイトには、こんな風になって欲しい… つまり、音楽の直販店だよ。そして、ブートレッグの交換場所にするという考えもあるんだ。すでに何百ものブートレッグが出回ってるから、僕としては、それを公認したいんだ。全部のブートレッグが入手出来るところをつくる、ということだ。会員制にでもして、(会員は)無制限に入手出来ることにしようか(笑)。もし、それが好きならね。こういう訳で、今年は、ウェブサイトでいろんなことをやっていこうと思うんだ。

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曲を書くときは、殆ど一人で書いてるのですか?

そうだね。『Full Moon Fever』から『Into the Great Wide Open』にかけては、Jeff Lynne と鼻を突き合わせて、同じ部屋で作曲したけどね。彼とはそういうやり方で沢山書いたんだ。Mike(Campbell)と僕では、そういう風に書いたことは全くないんだ。普通はテープを介してだ。Mike は自分のパートを仕上げてから、こちらに送ってくれるんだ。

“You Wreck Me”などは、Mike の曲が元になっていますが、彼はあなたに歌なしの伴奏を渡すんですか?それとも(歌の)メロディがすでに出来上がっているんですか?

いや、伴奏だけだよ。殆どがそうだ。

それは興味深いです。というのも、あの曲はこまめなコード変化の連続ですが、メロディはその上に見事に浮かんで(調和して)いるかのようで。

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そうだね、それが2人で曲を書くことの良いところだと思うよ。僕の曲の見方は、彼のとは全く違うと思うんだ。時には、彼が何かを送ってくれて、僕が曲(のボーカル部)を書く。そして、彼は気に入るんだけど、こう言うんだよ。「僕がサビに思ってた部分がAメロになってるよ。頭の中で思ってたのとは全く逆だけど、この方がいいよ」って。

とにかく、Mike はコードと基本的な伴奏を送ってくれる。僕はそれに書き加えて、自分でサビも加えて、コードを一つや二つ変えるのさ。でも、時には何も変えないこともあるんだ。僕たちは全く、一度たりとも、一緒に座って曲を書こうとしたことはないんだ。でも、Jeff とは、それが上手くいったんだ。

Mike との曲作りで、先に歌詞を渡したことはあります?

いや、それは全くしたことがない。でも、それも面白いかもしれないね(笑)。

“You Wreck Me”は上手く仕上がるまで何年もかかったと言ってましたね。

あの曲は時間がかかったんだ。あの曲が(仕上がらないまま)あるのは分かってたけどね(笑)。でも、歌詞を上手く(曲に)組み入れなきゃと思ってたんだ。あの曲は「Mike’s Song」と呼ばれてたのさ(笑)。すごく長い間、曲名がついてなかったんだ。

それから、(曲名が)”You Rock Me”になったんですよね。

そう、しばらく “You Rock Me”だったよ。でも、それだと (歌メロディーが)上手く流れないことは分かっていたんだ。だから、曲名を “You Wreck Me”に変えてみたら、完璧な曲が急に目の前に現れたような感じだった。

1つのキーワードが、いかに曲全体を変えるかという良い例ですね。

そう、そんなことがあるんだよ。だから、どんな部分でも注意を払わなきゃいけないんだ。それで全てが変わってくるからね。もし、その曲がピンとこなくても、時間をかけてみる価値はあるんだよ。

【Depot Street:vol. 67~76 】(2004.7-2005.4)掲載

ここでは、【Depot Street】に掲載した翻訳原稿を進行順(ページごと)に再編しました。ページ番号はインタビュー部分の始まりを1ページ目として記載しています。抜けている部分もありますが、原文と照らし合せてご覧になってみてください。