Steve Ferrone Interview (No.1)(2008/2)

ギタリスト 小沼ようすけのツアー・メンバーとして来日した Steve Ferrone にインタビューすることが出来ました。2月3日(日本時間4日朝)のスーパーボウル出演直後に来日し、2月6日から8日まで名古屋→大阪→福岡で演奏、オフをはさんで10日に東京公演というハードなツアー日程にも関わらず、ライヴの前の貴重な時間を我々のために割いてくれました。

Steve が『Wildflowers』のレコーディングに関わり、TP&HB の一員となってから、早いものですでに15年が経っています。同時に、Steve は華麗な経歴を持っている世界最高級のアーティストです。今回のインタビューでは、TP&HB に関連する内容に加えて、その偉大な活動歴についても聞きたいところでした。

そんな Steve はどういう格好で登場するのかな…と思いきや、スーパーボウルで入手したのでしょうか、勝利を収めた New York Giants のTシャツとともに、満面の笑みを浮かべながら現れたのでした。それでは、どうぞお楽しみください!

彼女(=Mayu)は10年間<Here Comes A Heartbreaker!>という TP&HB のファンサイトを運営して、その中で私たちは様々な活動を行ってきました。1999年以来、キャンペーンをやって、TP&HB の日本ツアーを実現するように活動してきました。

是非 お願いしますよ。僕も賛成だよ、手伝いますよ。

1999年のキャンペーン以降、日本で署名を集めて関係者のみなさんに届けたりしていました。そのようなことはご存知でしたか?

ツアーに関してはいろいろな人から度々意見が来るんだよね。ヨーロッパに行くこともね。でも、George Bush がイラク戦争を始めて…

Heartbreakers に入る前、僕は18回も日本に来たんだよ。Eric Clapton とは何度も来たし、日本のアーティストとも何度もやったし、George Duke とも来たよ。George Harrison もね。バンドでは15年間やってるから、今回の来日は16年か17年間ぶりなんだよね。だからその間、Tom が日本に来ていないことは分かるよ(笑)。

そうしたら、Tom に日本に来るように伝えてもらえますか?

そうするよ、そうする。今回のツアーではカナダへ行くんだけど、Tom にとって、それはアメリカから離れた外国ってことなんだよ(笑)。

ヨーロッパも考えているんですか?

それは分からないんだ。可能性はあるけどね。数年前にそのことは話していたけどね。

イラク戦争が始まったときですね。

そうだ、イラク戦争が始まったときだ。行く2週間前になって、「戦争が起きていることに対して懸念している、どのような扱いを受けるのか分からない」と Tom が言ったんだ。僕たちはアメリカン・バンドとしての評判があるからね。だから、そのリスクを犯したくない、ってことになったんだ。

アジア・ツアーが実現するといいですよね。

いいね。オーストラリアにも行ってね。オーストラリアにも親戚がいるからね。ここに来てみんなを楽しませたいよ。

Tom は以前に来日したことはあるんです。前に TP&HB が来たのは1986年です。

Bob Dylan とのツアーのときだね。

ものすごく時間が経っています。だから、こうやってインタビューさせてもらっているのはとても大きな機会なんです。

じゃあ、僕に交渉してほしいかい?分かった、やるよ。Tom に君たちの手紙を持っていくよ(笑顔)。

それにしても、スーパーボウルの直後にこうやってあなたが日本にいることはすごいですよね。

そうだよ、スーパーボウルの次の日に日本に向ったんだ。スーパーボウルが終わって家に帰って、荷物をまとめて、それで空港へ行ったよ(笑)。

信じられないですね。ところでみなさんはアメリカン・フットボールのファンなんですか?

いや、そうでもなくて… 僕は… サッカー・ファンだよ(笑)。でもニューヨークに22年間住んでたから、(New York)Giants に思い入れはあるんだ。親戚には(New England)Patriots の選手がいるんだ。娘の夫のいとこなんだけどね。

あれだけのステージで演奏したというのは偉大なことですよね。全米で1億人がTVで見ているわけですから。

信じられなかったよ。

緊張しましたか?

うん。普段はあまり緊張しないんだけど、あの1週間、「10億人が見てるよ、10億人だよ」ってみんなに言われていたんだ。だから、ショウのちょっと前は少し神経質になったね。僕の母はスーパーボウルの4週間前に亡くなったんだけど、母のことを考え始めたんだ。そこで母に心の中で話しかけたら、「Have fun!」って言われたよ。 

その後に何が起きたかというと… ガールフレンドと1週間一緒にいたんだけど、彼女はゲームには来なかったんだ。チケットは2枚あったんだけど、友達にあげたんだよ。彼女もフットボール・ファンではないんでね(笑)。だから、彼女は家に帰ってロサンゼルスから電話してくれたんだ。「ちょっとだけ神経質になったけど少し落ち着いてきたよ」って僕が言ったら、「Just go and have fun!」と彼女が言ってくれた。母と同じことを言ったんだよ。 

それでステージに上がったんだ。Tom はいつも少しだけ神経質になって… いつもプレッシャーを感じているんだ。彼に責任がかかってるからね。だから「これから楽しくなるぜ(This is gonna be fun)」と彼に言ってあげたよ!「Have some fun」ってね。そしたら、Mike Campbell が僕のところに来て「fun」と言ったんだ。とにかく素晴らしかったね。

私たちもとても感動しました。そして興奮しました。12分という短い時間にもかかわらず、バンドの魅力がその中に凝縮されていました。

ショウが終わった後に、「あー、ちょっとつまらなかったよ。Tom には Janet Jackson (*1) のようなこともなかったし。何か興奮するようなことをして欲しかった」という意見を聞いたんだけど、「良い音楽以外に興奮することってないだろ?」って思ったよ。Heartbreakers はかなり良い(ライヴ)バンドだからね。

正直に言いますけど、僕は感動して涙を流してました。

良かった、良かった。(ショウが)終わった後は、みんなが満面の笑みを浮かべてたんだよ。

Tom もバンドのみんなもですか?

Tony(Dimitriades、 バンドのマネージャー)は Tom に駆け寄って、彼の腰に腕を回して抱きしめ、Tom を宙に持ち上げて振り回して喜んでたよ!15年間バンドにいる中でそんなことは見たことがなかったよ!一度もなかったんだよ!普段の Tony がそんなことをしたら、Tom は「触るなよ!」って言うだろうけどね。それだけ特別なことだったんだ。

衣装に関するガイドラインは事前に言われていたんですか?

いや、でも10億人の前で演奏するんだったらカッコ良くしなきゃいけないだろ? Tom は専属のテーラーがいるからスーツを作ってもらったけど、僕たちはみんな、スーツを新調したんだよ。

帽子もキマってましたね?

あの帽子は故郷のサッカー・チームの仲間からもらったんだ。イギリスのブライトンなんだ。母への想いと故郷の友達の気持ちをこめてあの帽子をかぶったんだ。来月、僕はイギリスに行って母の遺灰を受け取ってアメリカに帰るんだけど、チームに招かれていて、船で遺灰を蒔くんだ。

(用意していた帽子を Steve にプレゼントして)この帽子をアメリカでもかぶってもらえますか?

勿論だよ。帽子が僕の一部になったようだね!


Heartbreakers に15年いる中で、メンバーの印象を教えてもらえませんか?

そうだね… 僕たちはある程度は会ってるんだけど、四六時中という訳ではないんだ。Ben(mont Tench)とは良く会うね。Ron(Blair)はサンディエゴに住んでいるんだけど、僕がメキシコに行く途中に立ち寄ったりね。メキシコで葉巻を吸うんだけどね(笑)。 

僕たちを結びつけているのは音楽への愛だと思うんだ。バンドで久しぶりに顔を合わせるときには、みんなで「あのビデオを見たよ」とか「Beatles のビデオを見た」とか言ったり、ブルースのレコードの話をしたりで、即座に音楽の話をしあうんだ。

バンドの中で音楽の結びつきはものすごく強いんだ。強力な糊みたいなものだね。みんなとても仲良いしね。演奏しはじめた頃、僕はイギリスで、みんなはゲインズヴィルだったけど、同じような音楽を聴いていたんだよね。ブルース、The Who、Manfred Mann などのイギリスのバンドとか… 同じような音楽だ。たくさんの音楽的な共通項があるんだ。

15年間続くことを予想していましたか?

僕のキャリアで成功した最初のバンドは Average White Band だった。それまでの間は、殆どはバンドに2年か4年いて、それで次のバンドへ成功を求めて移る、というパターンだった。当時一緒に働いたプロデューサーたちとは今も関わっているよ。

Average White Band には10年間いて、そして次のバンドは Eric Clapton で、そこにも10年間、そして Tom Petty だ。Tom Petty と15年間やっているのは、僕のキャリアの中でも一番長いね。だから、10年単位で同じバンドにいることはある意味慣れているよ。他の人とも仕事はするけど、自分のメイン・バンドは長い間続くんだ。

そして、他の人とも共演できる自由度があるわけですね。

そうだよ。そもそも僕は『Wildflowers』をレコーディングするために雇われたからね。あれは Tom のソロ作品で、アルバムで演奏してギャラをもらうだけかと思っていたんだ。彼には Heartbreakers というバンドがあるわけだからね。当時、(バンドの中で)Stan (Lynch)と起こっていたこと(*2) は全然知らなかったんだ。でも、僕にはスタジオでの経験があって、George Harrison とも一緒に働いていて、とてもうまくいってたから、レコードで新しいドラマーが必要だというときに George が(Tomに)話してくれたのかもしれない。そういう関係だったんだ。 

ツアーもやってくれないかと Tom に言われたとき、「このことは Stan と話したのか?」と聞いたんだよ。そうしたら、「最近、あまりうまくいってない」って。長い間バンドでやってると、家族みたいなもので… 家族ってケンカするでしょ?「Stan と話してうまくいくんだったら、それが良い。でもダメだったら、喜んでやるよ」と言ったんだ。数日後、Tom が電話してきて、「来年の予定はどうだい?」と言ったんだ。そのツアーはうまくいって、次のツアーもうまくいって、それで15年間も続いている、というわけさ。

(1997年・99年のサンフランシスコ)The Fillmore での連続コンサートもうまくいきましたね。彼女は観に行ったんですよ!それがこのサイトを作る原動力となったんです。

あ、そうなんだ。それは素晴らしいね。The Fillmore はパワフルな体験だったよ。

でも、Tom がインタビューでツアーに対して消極的な発言をしていたことを、日本のファンたちは気にしていました。そのことについて Tom と話しましたか?

いや。彼はそのときに感じていたことを話していたんだろうけど。彼は音楽を作る情熱を持っているし、彼が言ってたことは、昔のようなキツいツアーは行わないということで、もう少し楽にして、長期間やり続けないという意味だと思うんだ。

ツアーはハードですよね… 移動も大変だろうと想像しているんです。

いや、僕たちは良い旅をさせてもらってるよ。とても良いホテルに泊まるし、プライベート・ジェットで移動するし。そして、2日間連続で演奏したら、1日休みを取るようにしているんだ。15年間で3日連続で演奏したのは1回だけだ。

(以前に)ワシントン州のゴージで演奏したときにすごく成功したので、ゴージの翌日に(カナダの)バンクーバーの日程が入ってたんだけど、プロモーターが「もう一日空いてるから、お願いします」って言ったんで、(バンクーバーの)次の日にゴージに戻ってもう一回やったんだ。それが15年のうち3日連続でやった唯一の例外だ。

Tom のやり方は、3週間ツアーしたら家に戻って、リラックスして… スケジュールは確かにきついけど、うまく組まれているんだ。 

今回の(小沼ようすけの)ツアーは違うけどね!スーパーボウルが終わってから、空港へ行って、東京(成田)まで飛んで、電車に乗って東京まで行って、新幹線に乗って名古屋まで行って、ホテルで数時間休んで… それでリハーサルを夜11時から朝4時までやったんだ。ホテルへ戻ったけど眠れなくて、ショウの2時間前に会場入りして、ショウをやって… それで、昨日は始めてのオフだったんだ(笑)。

良く眠れましたか?

まだだね(笑)。今となっては良く眠りたくないよ。だって、良く眠ったら、アメリカに帰ったら夜に眠れなくなっちゃうからね!

アメリカに戻ったらどのような予定があるのですか。

えーっと、何があるっけ… 確か、友達と演奏するだけだったと思うよ。David Garfield (*3) とか。それからイギリスに帰って、母の件で色々と手続きをして、葬式を行ってから、アメリカに連れてくるんだ。家の庭に木があるので、そこに(遺灰を)戻すんだよ。それが当面の予定だ。今スタジオを作ってるんだ。元々スタジオを持ってたんだけど、そのビルを売却して、その隣の家を買ったんだ。そしてスタジオを家の横に作っていて、それが出来上がったらレコーディングできるようになるんだ。

それからツアーですね。

そうなんだ。

セットリストについて聞かせて下さい。The Fillmore のときには演奏できる限りの曲を演奏していましたが、例えばこの前のツアーでは曲が殆ど決まっていましたよね。

この前、Tom と話したときに、今度のツアーで何かやりたい曲を考えているのか聞いてみたんだけど、「まだだ」って言ってたんだ。だから、今からリハーサルが始まる5月までの間、彼が考えていくんだ。どういう風にやっていくかをね。

あなたが特に演奏したい曲はありますか?

いや、素晴らしい曲ばかりだからね。”I Won’t Back Down”はいつも演奏して楽しい曲だ。”Last Dance With Mary Jane”もいつも良いね。あと好きなのは… (間を置いて)”It’s Good To Be King”は好きだね。ライヴでは全然違う曲になるからね。長くなったりで。 

Heartbreakers の楽しいところって、セットリストがあってそれをリハーサルするんだけど、時々、Tom が振り返って「これをやってみようよ」って言って、リストにない曲をやり始めるんだ。それでどうなるか分からないんだ。時には、そういう曲がリストに残ることもあるし、5曲違う曲を演奏することもあるし、そうやってクリエイティブにやってるんだよ。何かリクエストある?(笑) 何回かしか演奏してないのでは”House In The Woods”なんだけど、それはしばらくやってないんだよね。時々やるんだけどね。

僕たちもその曲は大好きです。実は、僕たちはTP&HBのトリビュート・バンドを組んでいて、それを1年前に演奏したんですよ!

おーっ!TPのトリビュート・バンドって沢山あるんだけど、僕自身も始めようかと思ってるんだ(笑)。

日本にもそういうバンドがあるということを知っていただきたいです。

代々木公園で演奏するの?(笑)

いや、屋内ですよ(笑)。

スーパーボウルの前に誰かが Tom に聞いてたんだよね、彼がトリビュート・バンドについてどう思うかって。そうしたら、「僕たちより上手くない限りはいいよ」だって。

その心配はいりません(笑)。

あなたのドラムは本当に素晴らしいです。特に、安定感とパワフルなところなんですが、それらがどこから来たのか、教えてもらえますか。

いやー、それは分からないな… いろんなドラマーを聞いてきて… 僕は自分のことをテクニックを見せびらかすドラマーだとは思っていないんだ。やろうと思えば出来るけど、それだけをやりたいのではなくて、曲を演奏したいんだ。僕が好きな曲を作る素晴らしいソングライターたちと一緒にね。そして、そんなバンドでサポートしたいと思うんだ。そういうバンドでは過剰に演奏する必要もないんだ。でも、何かをやるときにはきちんとやりたいんだ。

これまでの活動の中で、あなたが特に気に入っているものはありますか?Heartbreakers に限らず。

Heartbreakers 以外、Tom Petty 以外だと… 重要なアルバムは沢山あるね。Chaka Khan のアルバムでスイスでレコーディングした『Naughty』(1980年)、これは本当に良いアルバムだったよ。Pat Metheny とやった『Secret Stories』(1992年)でも半分関わったけど、これもとても良い作品だ。Eric Clapton の『Unplugged』(1992年)、『24 Nights』(1991年)、良いアルバムだよ。 

Average White Band の中では、そんなにヒットはしなかったアルバムだけど、『Feel No Fret』(1979年)… レゲエ調なんだ。しかも、The Police(がそうする)以前だよ。

そして、The Police がそれで成功した訳ですよね(笑)。

そう、彼らが成功したんだ(笑)。でも、それは当然だよ、彼らは良い仕事をしたからね。彼らを聞いたとき、「僕たちはこれを狙ってたんだ」って(笑)。

小沼ようすけさんとの共演について教えてください。

彼は本当に良いミュージシャンだよ。彼の弾き方は本当に好きだ。サーフィンが元にあって、よりシンプルで… 彼のアルバムは聴いた? 

とても生々しいところが好きなんだ。トリオで録音して、それがそのままアルバムになってる。シンセサイザーもないし、ProTools (*4) の修正もないし、とても正直なものだ。だから(今回のツアーは)とても楽しいんだよ。そして、彼は音のループ… つまりリズムが素晴らしいね。だから僕たちは彼の音楽を楽しんでいるんだ。アルバムは本当に美しいよ。 

Heartbreakers には(アルバム参加を)伝えたんですか。

Tom にはアルバムをあげたよ。彼が聞いたかどうかはまだ知らないけど。「これを日本でやるんだよ」って言ったんだ。

Tom はあなたが日本へ行くことについて何か言ってましたか。「お土産を買ってきてほしい」とか(笑)。

いや。でも、Billboard Live (*5) で Fender ギターの形のキーリングを見付けて、それを Mike と Tom のために一つずつ買ったよ。違う色だよ(笑)。あと Ron と Scott(Thurston)にも一つずつ。キーボードの形のもあったから、それは Ben のために買ったよ。

あなたがアメリカに戻ったら、Heartbreakers は日本のお土産を受け取るわけですね。

ははは(笑)。

忙しいスケジュールにもかかわらず、こうやってインタビューに応じてくださったあなたの優しさに本当に感謝しています。

問題ないよ、問題ない。

ところで、(トリビュートバンドで)君(=Shigeyan)はギターなんだよね?君(=Jiro)はベースだよね?ドラマーは誰?(笑)

(爆笑)

周りに言うべきだよね、日本に行って僕が何をやってるかって(笑)。

バンド名は The Campbells なんです。

(飲んでいる水を思いっきり吹き出しそうになって爆笑) Mikeはそのこと知ってるの?(笑)

伝えてもらえますか?(笑)

分かったよ(笑)。

Mike が The Dirty Knobs で来日してくれると嬉しいんですけどね。あなたも一時期在籍していましたよね。

聞いてみるよ。Mike は独特なんだよね。僕が日本に行くって言ったら、(Mike の声を真似して)「うぁー、それは遠く、遠くだよね」って言ってたんだ。「別に自転車をこいで行く必要はないよ、飛行機に乗ればいいんだ」って言ったんだけど(笑)。

今日は本当にありがとうございました。

こちらこそ、どういたしまして。帽子はかぶらせてもらいますね(笑)。

1) 2004年のスーパーボウル出演時に上半身を露出、物議を醸し出した。
2) TomとStanとの間の確執。直後にStanがTP&HBを脱退。
3) キーボーディスト。70年代にはフュージョン・バンド Karizmaで活躍、Steve Lukather(TOTO)との共演も有名。http://www.davidgarfield.com/
4) 音楽の編集が容易に可能なデジタル・レコーディング・ソフトウェア。
5) 小沼ようすけの福岡・大阪公演は Billboard Live で行われた。

インタビュー: 2008年 2月 10日(東京)
インタビュー & 翻訳: Shigeyan
サポート: TOSHI、Mayu
写真撮影: Jiro