Steve Ferrone Interview (No.4)(2018/4)

Nathan East とのツアーで来日していた Steve Ferrone が日本の TP&HB ファンのために話を聞かせてくれました。いつもながらの明るく気さくな笑顔で会話も弾む一方、言葉を止めて静かに考え込むことも度々。その様子に改めて悲しみの深さが伝わってきました。Heartbreaker としての25年間を振り返れば、そこには大切な思い出がつまっています。いつにも増して胸が熱くなるインタビューでした。

インタビュー: 2018年4月18日(東京)

Tom の件は本当に残念でした。

うん… とても… とても悲しいことだ… しかし… 僕たちは友達だしユニットなんだ。Tomが良いチームを作ってくれた、とても良いリーダーだった。彼は、音楽のことを大切にする、とても良いチームを残してくれたんだよ。

さぞかし驚かれましたよね。

本当にだよ。Benmont が日曜日の夜に電話をかけてきてくれて…そのことを知らせてくれたとき… 最初は誰かほかの人のことを言ってるのかと思った… Tom のわけがないと思って。そんなことが起きるとは予想もしていなかったんだ。

…僕たちは、友達のことを慕い続けるよ。しばらくかかりそうだよ。直後は毎日とても感情的だった。今は曲を聴いたり、人と話したり… 思い出すと、とても悲しくなるんだ。これからも悲しい気持ちが続くよ。僕にとっては25年だ、ファミリーとして長い期間だよね。

バンド・メンバーだけでなく、クルーにとっても辛いですよね。

本当にその通りだ。

今回の Nathan East とのツアー (*1) はどうですか。

素晴らしいよ。はじめて中国に行ったのも良かった。

日本ではすでに4回演奏しています。オーディエンスの反応はどうですか?

素晴らしいよ。素晴らしい。いつも良いんだ。こういう音楽が好きだからね。

中国ではどう違いましたか?

同じくらいに熱狂的だったよ。音楽が好きで… 僕は演奏するとき、オーディエンスを見るのが好きなんだ。どう動いているか… 体の動かし方は… 日本のオーディエンスと似てるよ。アメリカ人の動き方、見方とは違うんだ。

少し前は南米に行きましたね。

それもとても良かったよ。11月にはイタリアでツアーするんだ。世界中を旅しているよ。Traveling Heartbreaker だね(笑)。

(以前のインタビューで)昔聴いた曲を忘れないと言っていました。すごいことですね。

それが僕の仕事だよ(笑)。

Nathan East でもそうでしたか?曲は覚えていましたか?

ああ… Nathan とだと多少は(普段と)違うから確認しなきゃいけないけど、(ツアーに)出る前、僕の家で1回リハーサルをやったよ。アレンジを確認したら… あとは即興で演奏するんだ。ある日は違う感じにしたり… ジャズだから自由な要素がないとね。変化したり、ダイナミックな箇所を作ったりね。

日本での滞在はどうですか?美味しいものは食べられました?

今回はあまり外出していないんだ。天気が良くないし、膝の関節痛があってね。だからずっとホテルにいたよ。ブルーノートは食べ物がおいしいんだ。

いつも思うんですけど、一晩で2ショウあるときはいつ食べるんですか?

ショウの間だよ。軽いサラダなど出してくれるんだ。
この後、バンドは韓国に行くが、僕は Benmont と Mike と演奏するためにロサンゼルスに戻るんだ。

Stephen Still のベネフィット・ショウ(*2)ですね。

そう。そして、僕の誕生日(4月25日)だ!(笑) 4月30日には断酒生活が25年間になる…これは僕にとってはとても大切なことだ。

それから休みだよ。イタリアに1週間行くんだ(笑)。普通イタリアに行くときは仕事だけど、今回はガールフレンドとローマ旅行だ。ローマ最高(笑)。芸術品を見て、美味しいものを食べて、友達と会って。Eric Clapton で一緒に演奏した Phil Palmer(*3)に会いに行くんだ。

ベネフィット・ショウは Benmont と Mike と演奏しますね。

…(昨年10月以来)初めてになるんだ。Mikeとは少し演奏したけど… 楽しくなるはずだ。確か”I Won’t Back Down”を演奏するはずだよ。自閉症支援のためのベネフィットなんだ。10月にも何かやる予定だ。

Stephen Stills とは長い知り合いなんですか。

Stephen は長い付き合いだよ… 何だったっけ… No Nukes Concert(*4)からの。1979年?長いよね(笑)。

Neil Young は?

ときどき会う程度かな。彼のことはあまり詳しく知らないんだ。Bridge Concert(*5)で見たり、「ハーイ(hello)」って言う程度だよ(笑)。

他にどういうゲストが来るか分かります?

Chris Stills(*6)が来るのは知ってるよ。他は分からないね。あ、Burt Bacharach(*7)もだ。詳しいことは知らないんだ。行けば分かるさ(笑)。

ショウは3日後ですよね。

そう。空港で拾ってもらってリハーサルに直行する。機内では寝てしっかり休んで。着いたら顔に水をかけてリハーサルに行くんだ(笑)。

1) ブルーノート東京で4月16~18日の3日間 6公演。直前は中国公演。
2) 4月21日にロサンゼルスで行われたベネフィット・コンサート<Light Up The Blues>。
3) イギリス出身のセッション・ギタリスト。Dire Straits Legacy で Steve とともに演奏。
4) 1979年9月にニューヨークで行われたコンサート。SteveはChaka Kahnのバックで参加。アルバム『No Nukes: The Muse Concerts for a Non-Nuclear Future』で聞くことができる。
5) Neil Young 夫妻(当時)が毎年主催していた Bridge School Benefit Concert。
6) シンガー・ソングライター。父はStephen Stills。
7) 作曲家・編曲家・ピアニスト。現在89歳。


これだけの悲劇があっても、忙しくしていることは凄いことですね。

(以前から) Heartbreakers が活動していないときも、いつも忙しくしていたからね。常に誰かと演奏していたんだ。演奏するのが好きだからね。Mikeは自分のバンドで演奏して、Benmont もたまにセッションなどで演奏しているけど、僕は定期的に演奏しているんだ。Heartbreakers で(久しぶりに)集まるときには、Tom が僕を見て「彼は大丈夫だ、(ブランクは)心配ないね」って(笑)。

Scott や Ron は何をしていますか。

Scott は家を買って、その手入れをしているよ。Ron はスタジオで演奏していて、週末には Carlsbad (*1)のホテルで演奏して歌っているよ。彼は僕のラジオショウにも参加してくれたよ。

そうでした!日本のことを取り上げてくれたこと、日本のファンを代表して感謝します。Ron と日本語を話していましたね。

彼が日本語を話すなんて… 知らなかったよ。日本に住んでただって?想像もしてなかったよ。20年ほど一緒にいても知らなかったんだ。

ラジオ・ショウは楽しんでますか。

ああ、とてもね。

どこから話が来たのですか。

Tom から言われたんだ。彼が<Tom Petty Radio>の原動力となっていて、「ショウをやらないか?」って。僕は「うーん、OKかな」と言ったら、「楽しいよ」と言われて、「じゃあ、まずゲストで出てみるよ」って。曲を選んで出かけて行って… Tom は話し方などとても自然だよね。「じゃあ、試してみるね」と言って、最初はマイクロフォンに向けて話すことが難しかったんだ。視聴者に向けて話すことを意識してね。

部屋には誰もいないんでしょう。

そう。そのうち少し慣れてきたんだ。早く話しすぎたり詰め込みすぎたりしたけど、今は気持ち良く話せてるよ。月1回、ショウをまとめるんだ。楽しんでいるよ。

番組の名前もいいですね。<new guy>というのが(笑)。

僕は<new guy>と呼ばれてたんだ(笑)。まだ25年間しか(バンドに)いないからね。

それは短いですね(笑)。

Tom がしばらく間違えてる時期があって….「彼はバンドに15年間いる」と言うから、僕は「それより長いよ」と言ったんだ。前の前のツアーのとき、「バンドに入ってどのくらいだったっけ?」と聞くので、「23年くらい」と答えると、「じゃあ<new guy>と呼ぼう」と言ってね。それで<new guy show>になったんだ。

1) ロサンゼルスとサンディエゴの間、沿岸部に位置する街。

25年は貴重な体験でしたね。

ああ。とても早かったよ。でも、いつも楽しかったよ。ツアーしない年があっても、次の年には何かして、 レコーディングしたり、何かをやっていたからね。

今は… あまりにも突然… リーダーがいなくなってしまった。改めて考えなきゃいけないんだ。とても難しいよ… 新しい人を探せば良いってものではないからね。

Tom Petty と Heartbreakers ではなくて、<Tom Petty and the Heartbreakers>という一つ(の集合体)なんだ。彼はバンドの一員だった。演奏の仕方、曲の書き方、組み立て方、バンドメンバーの活用の仕方… 曲に問題があって彼が「どうしたらいいか分からない」というときにはバンドはそれを解決する方法を知っていたんだ。

彼はバンドのことをフェラーリと呼んでいた。Mudcrutch は 1957年式のシボレーだ。どちらも運転するのが楽しいのさ(笑)。

Tom がいなくなった今、バンドメンバー全員が会う計画はあるのでしょうか。

… まだそれは話していないんだ。お互いには会うよ、Benmont にはよく会うし、Mike もだ。サンディエゴに行けば Ron に会うし、Scott が電話をかけてくると彼の家に寄るし… 何もしない、とは言えないけど、いつどうやってするか…。

僕たちは、Tom Petty の財産を守りたいと強く思っているんだ。その価値をどういう形であれ安っぽくしたくない。金を稼ぎたいならば他の方法があるから、(安易な形で)それをしなくてもいいんだ。Tom Petty の栄誉を称えるならば… Tom の言葉で言うならば「正しくやれ」ってことだよ(笑) 。

ファンの気持ちにも共通していますね。ファンは新しい音楽を聴きたい一方で、安易な金稼ぎモノは聴きたくないんです。

そうだね。僕はこれまで(TP&HBの)トリビュートをするバンドをたくさん見てきた。みんなうまく演奏するんだけど、Heartbreakes の独特の演奏の仕方…. これは一般人には分からないところだろうね。いい線行ってる人はときどきいるけど。

Tom は、”American Girl”をカヴァーした女性はとても好きだった。誰だったっけ?MusiCares (*1) で演奏した人だ。僕たちの演奏方法にとても近くて、僕たちがやっていることに注意を払って演奏してた。他のバンドたちは、押したいところで押さなかったり… とても細かいことなんだけど(笑)。Tom だったら「それ何?」って言うところだよ(笑)。

(検索の結果) Elle King (*2)?

そうだ。彼はそのヴァージョンがとても好きだったよ。彼女はとてもうまくやったよ。アレンジや細かいところまで忠実だった。

1) 2017年2月10日にロサンゼルスで行われた MusiCares 授賞式のベネフィット・コンサート。
2) アメリカ人シンガー・ソングライター。父はコメディアンの Rob Schneider。

将来アルバムを出すことも言及していましたね。

ああ、レコーディングされた音楽がたくさんあるからね。長い間話している『Wildflowers』のアウトテイクとか。僕はそこにはかかわっていないけど、Mike や Tony (Dimitoriades) が判断しているんだ。Tom はたくさんの曲を書いたし、僕たちはレコーディングしているから。

『Wildflowers』は最初のセッションでしたよね。

サウンド・チェックでも何でも録音してたからね。良いものもそうでないものも。良くないと思っていたものが良いこともあってね(笑)。何年も後に「良いね、これ何?これ誰がやったの?」とかね(笑)。Tom の家で演奏して3~4年後に、「それ良いね」と僕が言ったら「それ君だよ」って言われて、「いつやったの?」って。

1993年でしたよね。バンドに加入したときの話をよく語っていますね。

(Tom から誘いの)電話をもらったときの話?Mike が教えてくれたんだけど、Mike の提案だったって。僕たちは George Harrison のライヴで一緒に演奏したんだ。彼がTom に「こういうドラマーと演奏してるけど、すごく良いよ。『Wildflowers』で演奏してもらうべきだよ」と言ったんだ。

そして、その電話をもらったのさ。誰(のための演奏)かと聞いたけど、「秘密だ」と言われてね。当時はニューヨークに住んでいたんだけど、「来週ロサンゼルスに来てセッションできますか?」と聞いてきた。「良いですよ、誰のためですか?」と聞いたけれど「それは言えません、秘密です」と言われたよ。

あなたがスタジオに到着したら、Kenny Aronoff (*1) が片付けていたというのは本当ですか。

ああ。決して珍しいことではないんだ。(依頼主から)電話をもらって演奏するとき、(依頼主である)アーティストが特定のパートを演奏してほしい、ということが。例えば、Michael Jackson は僕に”Earth Song”(*2) という曲で演奏してほしくて、その曲を演奏したよ。他にも何か… Steve Porcaro (*3) の曲だったかな。曲名を思い出せないけど。だから、僕が到着するときに、誰かがアルバムを作っていて、そこで誰かが出ていくことは珍しくはないんだ。

そうすると、「役をもらった」という話でもないんですね。

ああ。オーディションではなかったし。音楽を制作するために雇われた、ということだ。

それが25年前、というのは驚くことですね。

僕には経歴があるから、みんな僕が何をできるか知っている。誰かが僕を雇って、それで演奏して、もしもっと演奏してほしければ演奏するし、演奏してほしくなれば演奏しない。簡単なことなんだ。別に仕事をもらおうとしている訳ではなくて。

Heartbreakers があのアルバムを作ったとき、僕との制作を楽しんでくれた。当時は Bryan Ferry (*4) と一緒にやっていてね、僕は Bryan のことがとても好きだし、その集まりも好きだった。でも、音楽はあまり好きじゃなかったんだ。(Bryan に)来年何をしているか聞かれて、「家に帰ってスタジオなどの仕事をするよ」と答えた。

彼女に「(Bryan Ferry のツアーに)行かないの?」と聞かれて、「ああ、それはしたくない」と答えた。「何がしたいの?」と聞かれて、「Tom Petty and the Heartbreakers のレコードは本当に楽しかった。でも、Stan Lynch がいるからどうなるかね」と答えたんだ。

その次の日に彼女から「Tom から電話があったわよ、かけ直してほしいって」と言われた。そのときは確かヨーロッパにいたと思う。それで Tom にかけたら、「来年何してるの?」と聞かれて、「何も」と答えたら、「それだったら Heartbreakers と一緒に演奏しない?」と言われたんだ。

「Stan とはどうなっている?」と聞いたら、「少々問題が起きてる」って。僕もバンドにいたことがあるから、「誘ってくれたことは本当に嬉しいよ。それはやりたいけど、バンドって家族みたいなもので、時には機能不全にもなるよね。Stan と話してみて。それでうまくいくなら最高。もしうまくいかなければ、かけ直してよ。僕は是非やりたいけど」と言ったんだ。バンドが話し合ってうまくいくこともあるからね。「それでいいかい」と聞いたら、「いいよ」って。その3時間後に電話が鳴り、Tom が「来年は働くよ」って(笑)。

ずいぶんと早かったですね(笑)。

それが25年になったんだ。最高の25年間にね。

1) John Mellencamp との活動が有名なスタジオ・ミュージシャン。
2) 『HIStory: Past, Present and Future, Book I』(1995年)収録。
3) TOTOのキーボーディスト。Michael Jackson の”Human Nature”の作曲者でもある。
4) Steveは、『Taxi』(1993年)、『Mamouna』(1994年)、1994年9~12月の欧米ツアーに参加している。


僕たちの一番好きなアルバムは『Wildflowers』なんです。

美しいアルバムだね。Tom は『Echo』があまり好きじゃなかった。彼の人生で暗い時期でね。でも、とても良いアルバムだね。今聴くと「うわっ」となるよ。 “Free Girl Now”とか… あの曲は大好きだ。だから… 悪い(アルバム)は特になかったと思うよ(笑)。

最近、”Echo”(曲)を繰り返し聴いています。本当に良い曲ですね。

ああ。あの曲はレコーディングするのにすごく時間がかかったよ。1週間は演奏したね。とても長くて、最初は11分ほどあったんだ。それが6~7分になった(笑)。変化も少ないからとても難しくて。彼は何かを探していたんだと思う、集中力が必要だったね。

歌詞はとても沈痛で、でもとてもダイナミックなものですね。

ああ。ライヴで演奏したことはないと思う。

1度だけあります。Fillmoreで。

Fillmore で?どこかで録音されてるね(笑)。あの曲なんだっけ… 最後のツアーでは、1回だけ”When the Kids Go Bad”を演奏したと思うよ。確かニューオーリンズで。

“Swingin’”を3回くらい演奏していますね。

“Swingin’”、それだ(笑)!その音源があって、(ラジオショウで)かけたんだ。とても良かったよ。リハーサルすらしなかったよ。突然、Tom が「”Swingin’”覚えてる?」と言って、「ああ」って答えたら、「それ今夜演奏するよ」って。

『Hypnotic Eyes』も良いアルバムですね。

ああ、Tomは良いソングライターだった。人生のある時点で誰もが感じるものを書いて。

昨年のツアーは楽しめましたか?

ああ。昨年はすごかった。バンドのフィーリングは最高だったし、演奏も最高で、毎晩素晴らしかった。

特に素晴らしかった日は覚えていますか?

そうだね… 僕たちは大きなショウをいくつかやった。シアトル (*1) と、確か4日連続で Red Rocks (*2)。ボストンは良かった。そして、ニューヨークではテニスコート (*3) で演った。もし後悔があると したら、(ニューヨークの)Madison Square Garden で演奏しなかったことだ。

今回のツアーでは、その代わりにテニスコートで演奏したんですね。

ああ。でも、僕は Madison Square Garden が大好きなんだ(笑)。

あと、サンフランシスコでは Tom の声が調子悪くて延期してね。確か3日間、その間に家に帰って声を休ませたんだ。復帰して最初のショウは本当に最高級だと言われたよ。その日だけが飛び抜けて素晴らしかったとは覚えてないけど、休息が取れて、3日後に戻ってきたときに曲へのアプローチが変わったのかもしれない。テンポも変わったり。

Mayu はそのショウにいたんです。

そうなんだ?本当に本当に良かった、素晴らしかったと言われたよ。

演奏したときには、特に悪いとも思わなかったけど、あまり深く考えなかったんだ。でも、毎晩演奏を聴いていたクルーたちから「本当に熱狂的だ」と言われて。 「そう?」って返事して(笑)。

バンドの演奏水準が全体的に高かったのでしょうか。

全体的にね。

だから、あなたは気づかなくても、観客や周りの人々は感じていたのかもしれません。

ああ。ツアーは全体的に魅惑的だったね。もし Tom が「もうこれで終わりだ」と言ったとしても、それにふさわしいツアーだった。特別なものがあって。もしかしたら神様が「これが最後のものだから特別なものにしよう」と思ったのかもしれないね。それで、バンドとクルーとの間に特別なハーモニーが起きたのかもしれない。

1) 8月19日、マリナーズの本拠地 Safeco Field でのスタジアム・ショウ。
2) コロラド州の Red Rocks Amphitheatre。実際は 5月29・30日の2日間。
3) 7月26・27日、ニューヨーク州フォレスト・ヒルズの Forest Hills Stadium 公演。


しかし。ツアーの途中、Tom が患っていたと考えると心が痛みます。

ああ。とても痛がっていたよ。

それを知ったのはいつでしたか。

最初から知っていたよ。(Tomは)「股関節にヒビが入った」と言っていたよ。「ステージへの階段を上るのは大丈夫?」と聞いたら、「もしかしたら助けてもらうかもしれない」と言われて、「いいよ」って。それで、階段に着いたら、彼が僕の肩を抱えて(一緒に歩き)、隣り同士で話し合って(笑)。僕が「次の一歩は大丈夫?」と聞けば、「ああ」って調子で。それで階段をゆっくり上がって、また話し合うと「そこ(ステージ)まで上がれば大丈夫」って。

ショウを乗り切るためには痛み止めが必要だったんだろう。痛み止めが効いてるときは、アンコールに戻るときも階段を上がれたんだ。でも、それ以外のときは「上がるの手伝ってくれる」って。手すりがあれば下るのは大丈夫だけど、上るのは大変だったんだ。

僕は「ステージに上がるためのタラップを作って機械で上げれば良いんじゃないか」と言ったし、(スタッフも)考えてくれたんだ。でも、彼はそうしたくなくて、ステージに上がりたかったんだ。(自分の肩を叩いて)これが彼の肩だったんだ(笑)。僕の膝も同じくらい痛かったけどね(爆笑)。

あなたの肩を必要としていたんですね。驚くべきことに、それはファンには全く分かりませんでした。誰もそんなこと想像できませんでした。

ああ。… 彼が倒れたときにはとんでもない痛みだったと思う。ツアーの後、股関節が完全に骨折してね。悔やむのは… もしツアー中に骨折していたら、彼は今もこの世にいたんだ… もしそれが1週間早ければ、彼は今この世にいたんだ… 彼は自宅で倒れて、大きな家だから見つからなかった。僕の家は小さいから、もし僕が倒れたとしても「今の音は何?」って見つけてもらえる(苦笑)。

(Tom夫人) Dana が発見したのですね。

ああ、彼女が。「彼はどこ?」って。

とても悲しいことですね。

… これは誰にでも起きることなんだ。(鎮痛剤の問題は)毎日起きているんだ。

特にアメリカにおいて、ですね。

ああ。僕たちがロンドンで演奏したとき (*1) には、僕の膝が痛くなってきた。はっきりしない天気だと、膝が痛むんだ。高気圧になると良くなるんだけど。旅をすると膝に水がたまって痛くなってくるので、水を抜いて腫れを鎮める必要が出てくるんだ。

それがツアー中に起きたんですね。

そう。ロンドンで演奏したときに悪化した。ボルチモア (*2) で4日間休んだけど良くならなかったんだ。そしてボストンに行ったけど、飛行機に座っているだけで膝が痛くて。整形外科医を探したけど、どこも予約が取れず、「それだったら大学病院の救急外来に行ったらどうだろう」と言われたんだ。行って看護師に話したけど、別の看護師、別の医者に次々と回され、2~3時間そこで過ごした。膝のことをみんなに繰り返し話して。そうしたら、最後の医者が「vicodin(麻薬系鎮痛剤)(*3) を出しましょう」と言った。

ええっ。

僕は「そういうのはいりません。アルコール依存症を経験して回復しましたから」「水を抜いてもらえば落ち着きます」と言った。そうしたら医者が「だめだめ、それでは感染します。そんなこと誰もしません」と言うから、「いつもやってもらってますよ」と言った。「いえいえ、vicodin を飲んでください、痛みが抑えられますよ」と言われて、「いや。vicodin は痛みを抑えるのではなく、自分の体を気にすることを抑えるんだ。痛んでも気にしなくなっちゃう、そういうことはしたくない」って返したんだ。

(医者は)「それならばアスピリン(*4)を出せます」と言ったけど、僕はすでに(かかりつけの)医者からアスピリンを出されていたんだ。何もしないと言うけど、vicodin を繰り返し出そうとする。 だから「もう帰るよ」と言って帰ったんだ。

それで(ツアーマネージャー)Richard Fernandez に電話して、「ドラッグを出されそうになったけど、それは飲みたくない」と言ったら、彼がプロモーターに電話してくれて。プロモーターはボストン・レッドソックスと知り合いだったんだ。僕たちはその前のツアーで(レッドソックスの本拠地)フェンウェイ・パークで演奏したことがあるから。

プロモーターに「フェンウェイ・パークに行ってください」と言われて、行ったら試合が行われていたんだけど、億単位のプレイヤーたちがみんなそこで治療を受けているんだよね。チーム・ドクターが診てくれて「水がたまってます、抜きますね」と言うから、「はい!」って返事したよ。「痛みを引かせるステロイド薬 (*5) も注射します」と言われて「お願いします」って。

その医者に「感染のリスクは2万5千回に1回あります」と言われたけど、病院の医者はなぜそれをしなかったのかと思って。(麻薬系の)痛み止めを飲んで依存症になるリスクが、針を刺すより小さいって言うのかね。なぜ人々が依存症になるのか?それは、他に出来ることがあるのに、薬を与えて、それをしないからだよ。

それは驚きです。世界でも最高レベルの有名病院なのに。

でも、僕にとってはそうじゃなかったよ(笑)。かかりつけの先生に、膝が痛くて困って救急外来にかかったら、vicodin を処方されそうになったことを話したんだ。そうしたら[しかめっ面の医師の真似をしながら](笑)「今度は電話してください」と言われたよ。

フェンウェイ・パークでスポーツ・ドクターが膝を診てくれたのは良かったですね。

(スポーツ・ドクターは)針を刺すときに(針の痛みを和らげる)麻酔薬を使ってくれたん だけど、「かかりつけのロサンゼルスの医者はそのまま刺しますよ」と言ったら、「レッド・ソックスでプレイするべきですよ。だって、選手たちは(痛みに耐えられない)赤んぼう みたいなものですから」と言われた(笑)。

Tom だけではなく、Prince など多くのミュージシャンが麻薬系鎮痛薬で命を落としています。

そうだね。ミュージシャンは痛みに対応するのが上手くないんだ(笑)。身体的にしろ感情的にしろ。

演奏するとき、痛みは大丈夫ですか。

痛まないよ。演奏するときには膝に力がかからないからね。でも立ち上がると… 右膝が左膝より大きいんだ。いつも腫れてるんだよ。こういう天気のときにはね。

晴れてるロサンゼルスに早く戻りたいですか。

今日はあまり晴れてないらしいよ(笑)。膝の手術を勧められているんだ。でも、それはしたくないよ。だって、演奏するには問題ないからね。手術すると演奏に問題が出るかもしれない。あと2年で70歳になるから、それまで考えるよ(笑)。そこまで行ければね(笑)。

医者には定期的に診てもらっているのですか。

そうだよ。Tom が亡くなったときに、かかりつけの先生に言われたんだ。「Tom と同じ年だし、同じような生活習慣をとってきてる。心臓を調べましょう」とね。検査で(血管の)狭窄が見つかったけど、大したことはないようだ。僕はたくさん運動しているよ。ボクシングをするし、ドラムの演奏はエアロビ的なので、心臓はとても強いんだ。放射線検査も行ったけど、何も問題ないって言われて、コレステロールの薬だけもらったよ。

1) 2017年7月9日の British Summer Time Hyde Park コンサート。
2) 7月20・21日にボストン、同23日にボルチモアで演奏。ボルチモアを他の都市と間違っている可能性もあり。
3) Tomが命を落とした麻薬鎮痛剤と同系統の薬。
4) 日本でも薬局で売られる汎用の鎮痛薬。
5) 関節内注射でよく用いられる。


Atlantic Family の一員としてあなたが40年前に演奏していたアルバム (*1) を聴いていたんですが驚異的ですね。

Average White Band (*2) とのアルバムだね。あれは楽しいバンドだったよ。

Brecker Brothers (*3) や Richard Tee (*4) との共演ですね。

パーカッションには Sammy Figueroa (*5)、Don Ellis (*6)のビックバンド、Lew Soloff (*7) … ニューヨークのスタジオ・ミュージシャンがみんな集まって、とても楽しかったんだ。

1) 1977年発売『The Atlantic Family Live at Montreux』。
2) 1970年代にSteve が在籍したバンド。
3) トランペット奏者Randy BreckerとMichael Brecker のユニット。
4) ニューヨーク拠点のキーボーディスト。1993年死去。
5) ニューヨーク拠点のスタジオ・ミュージシャン。
6) Glenn Miller バンド出身のトランペット奏者、1978年死去。
7) Blood, Sweat, & Tears、Manhattan Jazz Quintet に在籍歴のあるトランペット奏者。2015年死去。

アメリカに戻ったら Stephen Stills のショウ以外に何がありますか。

Kenneth Brian (*1) とは演奏するよ。ニューメキシコ州でのフィルム・フェスティヴァルがある(*2)。数年前、Nathan と一緒に演ったんだ。American Horse というバンドと一緒に演奏してほしくてね。

サンタバーバラでのベネフィット・ショウ、David Garfield (*3)… そしてバケーション(笑)。あと、ヨーロッパのフェスティヴァルで自分のバンド。フランスの友達とアルバムを作ったことがあってね (*4)。フィルム・フェスティヴァルは、Micki Free (*5)というギタリスト… Jimi Hendrix 的な人なんだけど、その人がやるんだ。

それから Dire Straits Legacy。アメリカでのツアーをやりたがっているけど、その準備ができてるかは分からない。今年のスケジュールの都合で。11月にツアーで行くんだ。そして、レコーディングがあちらこちらであるんだ。

忙しいことは良いことですね。

ああ。それと、Toshi Yanagi (*6) と The Buzz Wizards のショウがある。

どのくらいの頻度で演奏しているのですか。

月数回、僕の家に来てリハーサルするんだ。

それでまた日本に来られると良いですね。

ここ日本に来たいよ。とっても良いからね。

Nathan East Band では固定メンバーになっていますね。そちらでも再び日本に来られると良いですね。

ああ。彼らは韓国で改めてやりたいと言ってるよ。今回(のツアーで)僕は韓国に行けなかたので、行ってみたいんだ。

1) ロサンゼルス拠点のシンガー・ソングライター、ギタリスト。近年 Steve がKenneth Brian Band のメンバーとして参加。
2) 2018年6月4~10日、Albuquerque Film& Music Experience。
3) ジャズ・フュージョン系の大御所キーボーディスト、Steveともよく共演。
4) 2014年リリース、Steve Ferrone & Friends名義の『Live!』。
5) 1980年代にShalamar で演奏、グラミー賞受賞経験のあるギタリスト。
6) ロサンゼルス拠点のギタリスト。TV番組「Jimmy Kimmel Live」のハウスバンドのギタリストを務める。


そろそろ、お開きの時間でしょうか。

もう一つ聞いてよ(笑)。

では、Benmont の赤ちゃんの話!

おー(笑)!

もう会いましたか?

まだ会えてないんだ。生まれた直後は体の調子悪くて、食事がとれなくて。冬で、僕は風邪をひいていたから、離れるようにしていたんだ。赤ちゃんの写真は見たよ。(アメリカに) 戻るときには落ち着いているだろうから、会いに行きたいね。Benmont は眠れてないんじゃないかな(笑)。Benmont の眠りが悪いのは知ってる?

(笑いながら) Benmont は 完全な静けさがないと眠れないんだ。ホテルの部屋で見たよ。チェックインして、彼の部屋を見ると、ベッドに横になってるんだ。「大丈夫?」って聞いたら、「何か音が聞こえないか確認してるんだ」って。音で眠れない人に、人生で突然、赤ちゃんが登場するとは(笑)。

そして、Mike が Fleetwood Mac に加入しましすね。

ああ。随分前に教えてくれたよ。Mikeに「どう思う?」と聞かれて、「ちょっと離れて何か新しいことをすることは良いと思う」と言ったんだ。 頭をまっさらにして椅子にもたれかかって。ずっと悲嘆に暮れているよりは他のことをした方が良いと思って。「出かけて音楽を奏でてきなよ、そして戻ってきてよ」と言ったよ。

やはり Mike が一番 …

うん。Mike は、おそらく他の誰よりも苦しんでいただろう。彼と Tom は長年とても深い関係だったからね。(Tom の死は)みんな堪えてたけど、特に Mike にとっては辛いと思うんだ。

そうすると、ツアーに出るのは彼にとって良いことになりますね。

ああ。他のことをして、音楽を演奏して。

でも、とても驚きました。特に Mayu は。彼女は Lindsey Buckingham のファンなんです。

ああー(笑)、じゃあ、彼は空いてるよ(笑)。日本に来てもらえば良いよ!(笑)(Mayu が) 顔を赤くしてるよ(笑)。

Fleetwood Mac は日本に来ますかね?

ギタリストが好きなんだ。Mick Fleetwood は嫌い?(笑)

(Mayu は) Lindsey と Mike が好きなんですよ。

Heartbreakers が来るより可能性は高いよね(笑)。
Fleetwood Mac はよくツアーしてるよね。ニュージーランドやオーストラリアにも行って。 僕の従兄弟と甥が観に行ったよ。

アメリカでは銃の問題が多発していて悲しい限りですね。ラスベガス(の乱射事件)など音楽会場でも起きてしまって。

ああ。あれは Tom が亡くなった日だった。

アメリカにとって悲劇的な一日でしたね。

僕はとても早く寝るんだ。午前1時に(途中で)目が覚めて、テレビを見てたらラスベガスのことをやっていて、そうしたら電話が鳴り始めたんだ。僕がベガスにいると思ってイギリスの誰かが電話してくれたのかと思っていたんだ。いったん止まった後に再び鳴って、電話を見たら Benmont からだった。それで電話を取ったら、Tom のことだった。とても混乱していた。

Benmont も混乱していましたか。

ああ。彼…. みんながショックを受けていたよ。さて、そろそろ水泳の時間だ。

シュノーケルを手にインタヴューに現れた Steve。何事かと尋ねると、ホテルのプールで泳ぐのだそう。

インタビュー中に気になった左腕のハートマーク。見せてもらうと、そこには「Most things I worry about never happen anyway」とありました。

言葉につまりつつ、「これはいつ?」と聞くと、「Tom のことがあった3日後だ」と教えてくれました。

Steve の左腕には Tom との大切な思い出が刻まれている、 それは永遠に。

HP 掲載: 2018/ 4 /
インタビュー & 翻訳 : Shigeyan  サポート : TOSHI、Mayu