Ron Blair Interview / Rolling Stone (2014)

2014年の『Hypnotic Eye』ツアー最終公演(ロサンゼルス)直前に、Rolling Stone 誌は Ron Blair にインタビューを行っていました。将来の特集号企画のためでしたが、2017年の Tom の死に伴い、その直後に公開されました。これまで殆どインタビューを受けていない Ron ですが、面白い話がどんどん出てきます。実直で静かな Heartbreaker の知られざる一面をお楽しみください。

Heartbreakers にはどうやって加入したのですか。

Stan Lynch がいなかったら実現しなかったよ。僕たちはハリウッドに住んでいて、3つか4つのバンドで演奏していたんだ。ある日 Stan から電話がきて「僕のセッションで Benmont と一緒に演りたい?」と言ったんだ。Tom はちょっと見に来ただけだったけど、僕たちが良いプレイヤー達だとひらめいたんだね。間もなく、彼のためにセッションをしないかと聞かれたんだ。

最初のレコーディング・セッションはどんな感じでしたか。

“Mystery Man”をレコーディングしていたのを覚えているよ。僕たちはセッティングして音を合わせるためだけに曲を演奏したんだ。曲の終わりにプロデューサーの Denny Cordell が「すげー!」って言うから僕たちは「何?もうできたの?こんなに簡単に早く?」って感じだったんだ。<Keith Richards の法則>っていうのがあって、ミュージシャン達は(レコーディングされているのを)知らない間に
音を捉えるんだよ。テープを(ずっと)回していると、良いものが録れるってことなんだ。

Petty の作曲の何が印象的でしたか。

それまで僕がいたバンドでは、誰かが「よし、曲のパーツがある」と言ってみんなで演奏してヴァースやコーラスを考えていた。(曲の他のパーツを)寄せ集めていたんだ。でも、Tom は誰もが共感できるような表現を使って、素晴らしい曲(の全部分)を書いていた。そしてびっくりすることに、曲を書き続けていたんだ。彼は僕たちをずっと忙しくさせてたよ。

バンドがうまくいってる、しばらく続くんだと実感したのはどの頃ですか。

Elvis Presley や Rolling Stones のような人たちには長いキャリアがあることを知っていたよ。でも当時はニューウェイヴが誕生した頃で、当時のバンドの殆どは長続きしなかったんだ。それに30歳以降の人生があるなんて考えられない世代だった。でも、次第に「すごい、僕は本物のアメリカのソングライターと働いてるんだ。これは大きなことになる」と気づいたんだ。

1982年に脱退しましたが、何が起きたのですか。

休みが取れない地獄の月日が3年くらい続いて、200回連続で音の悪いコンサートを演っていたんだ。つらかったよ。コンサートのたびに誰かが絡んできたよ。どこかの小さな町のラジオ局の選曲担当者がいたり、コンサートの後にお金を握っているというレコード会社の奴と会ったり。そして6ヶ月後には、本当にお金を握っている他の人と会うんだ。全てが生きるか死ぬかで、犠牲を強いられたんだ。

あなたは辞めたのですか、それともクビになったのですか。

その2つの中間ってあるかな?友好的なものだった。うーん… ある日、心地良く話していて。「僕たちは別々の道を行こうか」って感じで。とてもほっとしたよ。

80年代にバンドがどんどん大きくなり、あなたは後悔しましたか。

いや。一切ないね。僕はショウにも行って、みんなと会うのが楽しかったし。12年間離れた後、こんな夢を見始めたんだ。バックステージで楽しんでいると、Tom か誰かが「一緒に出てくれないか、セットの後半を演奏してくれよ」と言って、僕は「うわっ、”Last Dance With Mary Jane”も何もかも分からないよ」となる。もう一度眠るために、曲を学び始めたよ。変な話だけど、よく眠るために20曲ばかり覚えたんだ。

80年代、90年代にはどういう仕事をしていましたか。

妻の家族が水着を製造していて、(ロサンゼルス近郊)ハモサビーチに小さな店を持っていたんだ。僕は音楽業界に本当にうんざりして、とにかく疲れ果てていてね。それで僕たちは店を経営したけど、実はどんな仕事にもうんざりすることはあると気づいたんだ。その小さな店の人々でさえ、巨大なエゴが出るんだ。どんな状況でも山あり谷ありだけど、それを15年間続けたんだ。

音楽には興味を持ち続けていたんですか。

1980年代は音楽(業界)にとってきつい時期だった。機械的に作られた曲たちのせいでね。曲からニュアンスを取り除くのに何千ドルもかけた後、ニュアンスを戻すのに何千ドルもかけるんだ。でも、Mike Campbell が僕を(音楽業界から)漂流しすぎないようにしてくれたよ。90年代後半には、ちょっとしたレコーディングで僕を呼んでくれたんだ。実際、エピタフ・レコード(*1)からサーフミュージックのCD(*2)を出したんだ。完全に匿名でね。

Tom と再びつながったのはいつでしたか。

Mike が『The Last DJ』の曲を書いていて、彼が家で作ったちょっとしたデモで演奏したんだ。当時、彼らは Howie のことで問題があって。彼がいつもつかまらなかったから、演奏するために僕が呼ばれた。

この頃、ロックンロール殿堂入りでオリジナル・ラインアップで演奏しましたね。

あれはなかなか楽しかったよ。とても興奮したね。良いスーツを買って(会場のニューヨークの高級ホテル)ウォルドーフ・アストリアに泊まってね。昔のバンドとリハーサルを何回かやって、とても素晴らしい演奏だったよ。

当時、具合の悪い Howie に会うのは大変でしたね。

不思議な感じだった。ウォルドーフの宴会場でサウンドチェックをしたんだ。みんなとても忙しかったから、Howie と僕はお互い助け合った。”American Girl”は僕の時代だったから僕が演奏して、”Mary Jane’s Last Dance”は彼の時代だから彼が演奏したんだ。僕たちはお互いのローディーをやったんだよ。僕の印象だけど、彼は自分を取り戻そうとしていたんだ。彼は必死に自分自身を救おうとしていたように思ったよ、でもそれは叶わなかった。

バンドへの再加入を Tom はどう持ち掛けたのですか。

想像できると思うけど、それ以上素晴らしいことはないよ。僕たちはスタジオの扉から出たところで、夜の空気が気持ち良かった。Tom が「この夏はどうしてる?」と言うから「そこにいなきゃいけない用事は何もないよ」と返したんだ。彼は「ツアーに行く気はある?」と言ったんだ。信じられない瞬間だったよ。一番最初にバンドに加入したときにフラッシュバックしたようだったよ。「もちろん。ツアーに行くよ」と言ったよ。

これが完全復帰であることを当時分かっていましたか。

いや。Howie が撮影セッションに来なくて、電話でもつかまらないことは知っていたよ。彼らはリハーサルが始まる4日前まで待っていたんだ。僕は「なんてこった!」って調子だった。バンドの全て、全曲を聴かなきゃいけなかったよ。21世紀の偉大なソングライターを発掘する考古学者のような気持ちだったよ。Tom のカタログには今でも圧倒されるよ。iPod Nano に何千曲も入れてね。聴くときはずっとメモを取りながら学んでいったんだ。4日後にはメモの取りすぎで手が麻痺しちゃってほとんど演奏できなかったよ。

リハーサルでは”It’s Good To Be King”を学んだよ。とても複雑でドラマチックだった。リハーサル2日目にそれを演奏して、僕は完璧に演奏したことを覚えてるよ。Tom が僕を見て「とても素晴らしいよ」って言ったんだ。主がそう言うのはすごいことなんだ。

復帰した最初のショウはどんな感じでしたか。

緊張を通り過ぎていたよ。アリーナの階段を上がりながら、ただ「ああ、神様」って感じだったよ。”I Need To Know”がオープニングだったけど、間違ったキーで始めてしまってね。とにかく怖かった。毎日、恐怖が襲ってきたよ。数年経った後に自分にこう言い聞かせたんだ、「これを楽しめるように学ばなきゃ。緊張してもいいけど、いつも怖がっていないで」とね。

全てのことが不思議なタイムスリップのようでしたよね。

そうだね。(脱退前の)当時は照明や音響機器は決まった形をしていて、エンジニアリング的な面も決まっていたんだ。18年後にカムバックして、リハーサルのときでさえ「うわ、全てがすごい」となっていたね。まるで輸送機のようだった。あまりにも多くの物があって。照明は自動制御モーターがあるロボットのようだった。まるで宇宙人にさらわれたような気持ちだったよ。

オリジナル・ラインアップのときの緊張は消えて久しかったんですね。

うん。今はより気楽な雰囲気で毎年良くなっていくね。Tom は一緒に仕事しやすいけど、彼は多くを求めるんだ。何かが彼の水準に達していないと、彼は教えてくれるんだ。復帰してからの唯一の冒険といえば、最高のレベルで演奏することだね。ツアーの合間には自分を改造する時間がある。次のツアーにはより上手くなるんだ。

独自の体験をしましたね。普通バンドを脱退すると、特に20年も経てば、それは永久的なものです。

初代、そして3代目のベース・プレイヤーであることはものすごく特別なことだ。昔のような危険信号が点いたり、トラブルの兆しが見えたり、誰かが文句を言ったりしていると、「それには関わらないぞ」と思うんだ。物を言うときに気をつけることを学んだし、今の方が冷静だと思う。

でも、何かが良いなと思い始めると、即座に叩かれるものなんだ。謙虚でいなきゃいけないよ。人々はこのバンドが大好きで、僕たちは長く活動できている。僕たちは不利な条件を跳ねのけてきたんだ。ロードで3か月間とても密接に過ごしていても、お互いのことがとても好きなんだ。これは並大抵のことじゃないよ。

昨年の劇場ツアーは楽しみましたか。

僕たちは、アリーナ、巨大会場、フェスティバルでとても良いバンドになったんだ。大きなステージで良い音をつくる、という不可能に近いことを学んだよ。そして小さな劇場に引き戻されたんだ。「ああ、昔はこれが好きだったけど、今となっては分からないよ。沢山の機材と一緒に押し込められて。音はあまり好きじゃない変な感じだ」と思ったよ。

『Mojo』と『Hypnotic Eye』の制作は楽しかったでしょうね。

ああ。アーティストならば、アートに基づいたことをしたいんだ。それがビジネスマンに通じなくてもね。彼らは「Mojo はブルース過ぎる」と考えるかもしれない。最新作ではブルースもあるけど、古典的な Tom Petty and the Heartbreakers がもう少し入っているよ。それは意味があることで、お互いがお互いを高めているんだ。

みなさんの次の予定は何ですか。

分からないよ。1日おきに2ヶ月間演奏する、ものすごく大きいツアーを終えたばかりだ。さらに旅立つ前に1ヶ月間とてもハードにリハーサルしたんだ。友達にはこういう風に言ったよ。「レギュラーバンドに入っていて(久しぶりに)リハーサルに集まったとしたら、まず初めは気取った感じで、次の週から良くなっていくものなんだ」って。でも、僕たちの場合はそうじゃないんだ。初日からフル回転だ。どういう訳か、それからもどんどん良くなっていくんだよ。

1)  パンクロックバンド Bad Religion のメンバーにより創設されたレコード会社。
2)  1997年発売の The Blue Stingrays 名義『Surf-n-Burn』。メンバーは Mike、Benmont、Ron、Randall Marsh (Mudcrutch)。

【Depot Street: vol. 240】(2018.12)掲載  翻訳: Shigeyan