Campaign Report 1(1998-1999)

Tom Petty and the Heartbreakers 日本公演実現キャンペーン

- Part 1(1998-1999)

1999年1月から2000年12月まで2年間にわたり実施した「Tom Petty and the Heartbreakers 日本公演実現キャンペーン」の経過・結果をご報告します。

1998年

はじまり

1998年1月20日にオープンしたTP&HBファンサイト<Here Comes A Heartbreaker!>のオフ会などに集まったファンたちが、長らく日本公演が行われていないTP&HBの日本公演に向けて何かできることはないかと語り合ったのがきっかけ。「TP&HB をここ日本で観たい!」 それは私たちの心からの夢です。会を重ねるごとに熱は上がっていきました。

1998年 秋

その中から何人かで直接会ったり、インターネットを介したりして意見交換を続け、「署名集めキャンペーン」のアイディアをまとめていきました。
Sammy、TOSHI、ジロー、しげやん、MAKOTO、Mayu の有志6人がスタッフとなり、キャンペーンのための新しいウェブサイトのオープンとメールマガジンの発行を目指して突き進みます。

スタートに向けてスパート

1999年1月11日に「キャンペーン」を開始することを決め、98年の年末から99年の年始にかけては準備に追われました。
ウェブサイト全般は Mayu、キャンペーンのメインになる署名コーナーは MAKOTO が担当。リンクページはアーティストごとに しげやん、Sammy、TOSHI、BUCHI が分担して作業を進めます。

1999年

スタート直前

スケジュールが押してしまい、スタート直前はバタバタ。スタッフの多くは、1/9(土)~1/11(月)早朝まで、ほとんど寝てなかったでしょう。昼夜関係なくメール&TELが飛び交う凄い状況に。

この時、キャンペーンを運営する組織名もメールマガジンのタイトルもまだ決まっていませんでした。そこでメールによるアイディア提案&直前投票と相成りました。 

<99/1/9付
しげやん発のメール>

<99/1/9付
Mayu 発のメール>

<99/1/10付
Sammy 発のメール>

 「メール・マガジンの名前について」”Heartbreaker’s Japan Party”色々と創作した中では,これがけっこう好きですが…いかがでしょうか.(Japanネタかつ曲関連で思いついたものといえば…”The Waiting in Japan” “Japanese girl””A Thing about Japan””Into the great wide Japan”…あ~我ながらサム過ぎ(笑))


 「メール・マガジンの名前について」 BOXの曲目リストを眺めつつ、全てにJAPANを入れてサムくなってしまいました。(Japanネタから頭が離れません)…. 「キャンペーンの運営組織名について」私のアイディアは”HB’s Japan Party”。そう、しげやんのネタ(?)の転用です。Partyには集団の意味もあるので良いのではないかと。


 (サムくなったのは私のほうです。私は”Beach Party”が頭からはなれなくて”Heartbreaker’s Mail Party”しかない!と思っていたところ…。今一度考え直し)「メール・マガジンの名前について」”Depot Street “情報が行き来しアクティブなメールマガジンになるようにと祈って…。


いろいろアイディアが出ましたが、最終的な投票ではほぼ「Heartbreaker’s Japan Party」と「Depot Street」に一致しました。

キャンペーン・スタート!

ウェブサイト: “The Waiting is the hardest part…” オープン / メールマガジン: “Depot Street” 発行開始
署名コーナーを併設したウェブサイでキャンペーンを開始… スタートと同時に我々スタッフだけでなく、熱心なファンの方たちが熱いメッセージを書き込んでくれて感激しました。メールマガジンは、vol.1=pre-start 号として約50件に配信。以降、HPの定期更新&メールマガジン発行は毎月11日というスケジュールに。

インターネット上でのプロモーション推進
広報担当 しげやんを中心にしたインターネット上の活動で、協賛サイト&署名数に広がりが。

引越し​   1999. 2
より良い環境を求めて、ホームページはフリーサイトの「fiberia」⇒「plala」に移転、メールマガジンも「まぐまぐ」に登録して購読者数を増やしました。

The Fillmore Party​   1999. 3. 11&12
スタッフ(Mayu、ジロー、Setsuko )が Fillmore ライヴに突撃。結果は Fillmore Live Special で。

チラシを使っての署名集めスタート   1999. 4. 3~
インターネット以外での活動として、チラシを使ってキャンペーンの宣伝&郵送による署名集め。手製のチラシを都内の主要CDショップに置いてもらう。これを私たちの間では「営業活動」と言ってます。

『ECHO』(輸入盤)発売開始   1999. 4. 8
営業のため、たまたま出かけたCDショップで突如『ECHO』発見。輸入盤発売はUSAと同じく4/13と聞いていたのに、なぜか4/8から売り出しに。嬉しいながらも愕然とする。

新譜『ECHO』発売を受けて連日の営業活動   1999. 4. 12~
主にSammy&Mayuペアで都内の主要CDショップに営業。ショップの方はみなさん好意的に話を聞いて、チラシの設置をしてくださる。Sammyは営業担当として大活躍。とはいえ連日の営業はかなりハードでした。

** これまで署名メッセージなどの英訳をしてきた Setsuko、正式にスタッフとして活動に加わることに。

署名数 100件を突破   1999. 4. 28
キャンペーン・スタートから3ヶ月ちょっと。さらに気分を引き締めて。
感謝の気持ちを込めてプレゼント企画を実施。5月末までに署名をしてくれた142名の中から10名を抽選で選ぶ。(5/11 HP&MM上に告知、6/1抽選会、6/5当選者発表)

Press Release 発信   1999. 5. 14~
我々の活動をより広く知ってもらうために、TOSHIを中心にプレスリリース「Heartbraeker’s Japan Party宣言」作成・発信。(20ヶ所以上の関係先に郵送)

TP&HB 『echo』ツアー・スタート   1999. 6. 12~
待望のUSツアーが始まる。日本から出掛けるファンに「ポスト・カードでメッセージを届けよう」と呼びかけ。

新しいツールの制作決定   1999. 7. 17
CDショップなどに設置してもらうためのツールとして、新しいチラシを制作することに。紆余曲折あって、完成が遅れる。

Press Release(英語版)発信   1999. 7. 27
日本語版のプレスリリースを改定・英訳して、新たに英語版 プレスリリース「The Waiting is the hardest part…」を作成。(公式ファンクラブを含めた5件に郵送)

署名数 200件を突破   1999. 7. 29
We gotta get to a higher place!!

『echo』ツアー・ファイナル at Las Vegas & Hollywood   1999. 10. 15&16
TP&HBの『echo』ツアーもいよいよファイナル。ラスト2公演を観るためにスタッフ(Mayu、Setsuko、ジロー、しげやん)がアメリカへ。ラス・ベガスにてツアーマネージャー Richard Fernandez 氏に署名簿を手渡すことに成功。

leaf

キャンペーン・リーフレット完成   1999. 10. 22
新しいキャンペーン・ツールがついに完成。往復はがきスタイルのリーフレットを5000部制作。全国の主要CDショップに発送&持参開始、新たなる営業活動の始まり。

** 完成に先駆けて、【Depot Street: vol.10】上にて制作費カンパのお願いをしたところ、沢山の方々からご協力を頂きました。みなさんの厚意に支えられたリーフレットです。本当にありがとうございました。

** このリーフレットは当キャンペーンを多くの方々に知ってもらうために制作したもので、無料でお持ち頂けるようになっています。

署名数 300件を突破   1999. 12. 10
リーフレット効果もあってHPへの署名もいいペースで増加。待望の300件に。

キャンペーン継続宣言   1999. 12. 11
スタッフ間の話し合いにより、署名キャンペーンの継続を決定。(当初予定では1999年内が終了期限)さらなる前進を目指します!!

1999年 結果(経過)報告   1999. 12. 31
HP の<sign book>への署名 318件。郵送の<snail mail>署名 65件。
一年を振り返って、1999年 キャンペーン総括 でキャンペーンの成果、経過、問題点等をレポート。